部屋食の場合、ご飯が済んでデザートが出された頃、担当の仲居さんが「お済になったらフロントに電話でお知らせください」というのが多いが、貴子が女将を務めている旅館もそんなシステムだった。
フロントに「食事が済みました」と桐の間のお客様から電話があり、部屋係の仲居が片付けに向かったが、すぐに固い表情で戻って来た。
「女将さん、何かあったみたいです。お料理、大半がそのままなのです」
そんな報告を耳にして貴子は心配になってその事情を確認するために部屋へ急いだ。
「失礼いたします。お粗末でございました。あのう何か問題がございましたでしょうか?」
テーブルの上の料理は仲居から報告があったように手付かずの状態。女性客の方は何の抵抗もなかったようで残っていなかったが、男性客の料理は「蟹」「造里」「はりはり鍋」などがそのままで、何かが問題で手付かずという行動に至ったように拝察した。
しかし、男性客は予想もしなかった言葉でその事情を説明してくれた。
「さっきの仲居さんからの報告で驚かれた女将さんがやって来られたみたいですが、驚かせて申し訳ないが、私は病的な偏食でこうなっただけですから別に問題はありませんから」
<そんなことが?>と内心驚いたが、自分側に問題がなかったことが判明して安堵したことも事実であった。
「それだったらお嫌いな物を先に仰ってくだされば」と言った彼女の言葉に対し、男性客は笑いながらも厳しい言葉で返して来た。
「先に聞いてくれていたらよかったとは言えませんか? どうでしょう?」
女将は何も返す言葉が見つからず、ただ「そうでございますね。申し訳ございませんでした」と謝罪の言葉を出すと、女性客が助け舟を出すように優しい言葉を挟んでくれた。
「この人ね、どこの旅館に宿泊してもこれなのです。家で作る料理も決まっていましてね、牛肉もジャガイモも食べるのに、肉ジャガにしたらどちらも食べない変わり者なのです。カレーライスを作っても、野菜だけが我が家のレシピで考えられないでしょう?」
世の中にはこんな人もいるのだと知ったが、フロントに戻ってから一方通行的に料理を提供している中に、こんなお客様がいるのだと考えると、チェックイン時にグローバルな対応をするべきだと学ぶことになった出来事だった。
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