夫が部屋に戻って来た。フロントスタッフにメモを見せてモーニングコールを頼み、次にコンシェルジュのデスクに行って早朝の5時半にタクシーを予約したそうだが、遅れたら大変だからとモーニングコールを午前4時45分にして来たと聞いてびっくりした。
シドニー空港は「キングスフォード・スミス国際空港」という呼称が正式名で、成田空港まで利用する日本航空772便の出発は午前8時15分で、出国手続きや保安検査、また土産物店で買い物をする時間も考慮したいし、搭乗前にラウンジで軽い朝食でもと思って早朝のホテル出発を予定していた。
嘉代子には心配事があった。そんなに早くフロントに行ってもチェックアウトが可能なのだろうかということで、夫に質問したらこんなホテルはそれこそ24時間営業だと教えてくれたので安堵した。
部屋の窓からライトアップされたオペラハウスが見える。もう一度この国を訪れることはないだろうが、この光景をしっかりと心の中に焼きつけて帰りたいと思う嘉代子だった。
ナイトテーブルにある目覚まし時計を午前4時半にしていた。これで目が醒めればモーニングコールの前に起きていることになる。「PM」と「AM」を間違っていないかと質問をすると、そんな初歩的な間違いはしないと笑われた。
次の日、午前4時半に目覚まし時計が鳴った。2人共あまり寝ていなかったみたいで、音が鳴る前に目が醒めており、その音を止めてしばらくするとモーニングコールの電話が鳴った。
荷物の準備は出来ている。空港で提出しなければならないEチケットのプリントや出国カードを確かめていた夫だが、パスポートは内ポケットに2人分を入れると言い、もしもどちらかを落として紛失したら帰国が遅れるから何でも二人一緒だと言われ、夫婦の絆根と返した嘉代子だった。
エレベーターでロビー階に降りたが、さすがにこの時間に人の姿はなく、フロントに行くと若い男性スタッフがおり、ルームキーを出した夫がクレジットカードで支払いを済ませると、タクシーが玄関に待機していることを教えてくれた。
玄関に行くとタクシーが停まっており、運転手がトランクを開けて待ってくれていた。キャリーバッグとボストンバッグを入れて貰って空港に向けて出発したが、空港は国内線と国際線と分かれているので夫が「インターナショナル」と伝えていた。
早朝なので車も少なく、20分ほどで空港に到着した。料金を支払ってチップを渡し、荷物を受け取ってターミナルの中へ入った。
利用する便は日本航空だが、受付カウンターはカンタス航空の窓口となっている。カウンターには2人の女性がいたがどちらも日本語は通じないが、チェックインなので問題はない。Eチケットのプリントとパスポートを出して確認が始まったら、「おはようございます」と日本語が話せるスタッフが登場した。名札には日本航空のマークがあり、JALのスタッフであることが分かってホッとした。
もうこれで日本へ帰国出来ると思えた嘉代子だったが、発行された搭乗券に添えられる筈のラウンジ利用券を貰わなかった。それに気付いたのは保安検査や出国手続きを終えてからで、土産物店で買い物をしてからラウンジへ行こうと思った時だった。
搭乗券には「Cクラス」という文字がある。それはビジネスクラスという意味で問題なくラウンジが利用出来る筈だ、出発して水平飛行になってしばらくすると機内食があるが、取り敢えず軽く朝食をということでラウンジへ行った。
入り口を入ってカウンター窓口にいたスタッフに搭乗券を見せると「ウェルカム」と言われて入ることが出来、パンと卵料理で軽く済ませた。
カンタス航空の専用ラウンジである「カンタスクラブ」を日本航空も利用しているが、カンタスクラブは「ドレスコード」があることも知られており、短パンでは入場出来ない規定となっている。
利用する日本航空772便は、シドニーからパースへ向けてカンタス航空575便に搭乗した際、10機ぐらい渋滞していた中、すぐ前を離陸して行った飛行機で、帰国する時はあれなんだと夫が言っていたことを思い出した。
ボタンを押すと自動で焼いてくれるパンケーキを試してみたが、初めて目にした器材でまるでマジックショーを観ているような感じがした。
時間を迎えて搭乗口へ行った。土産物店で買ったのはスタッフが勧めてくれた蜂蜜で、数量が多かったのでかなり重たかった。
機内の席は第一キャビンの最後部だった。搭乗しているのは少なく半分程度空席となっている。席に着くなり「ワインでも飲めたら楽しいだろうなあ」とため息交じりの嘆きの言葉を夫が発したが、それはCAがウェルカムドリンクを確認に来たことからだった。
医師から一滴のアルコールも禁止されている夫だが、ちょっとぐらいという甘い考えで再入院した出来事もあり、「これから障害アルコールとは無縁だ」と宣言していた夫が可哀相だが、今回2人でこんな外国まで旅行出来たことを喜ぶ嘉代子だった。
やがてメニューが配られ互いの食事を決めたが、夫の好みがなかったので気の毒に思えた。
偏食する人生は不幸である。そうおもえてならない嘉代子だが、今回のオーストラリアでジャーマンポテトが何処でも出て来たことが何より恵まれていたような気もしていた。
進行方向に向かって右側の席だったが、夫は「左側だったらよかったのに」と言った。「なぜ?」と聞いてみると蝶の形をした美しいサンゴ礁の島が見られるそうで、それを観た人は幸せになると言われているそうで、「仕方がないか」と諦めていた。
成田空港までの飛行時間は9時間半の予定だが、グァム島の上空を飛ぶそうで太平洋の地図を思い浮かべながら出された機内食を食べていた。
成田空港へ到着するのは夕方だったが、その1時間半前頃にもう一度機内食が出る。機内で座ったままなのであまり食欲がなく、半分以上残したが、夫は全く好みが合わなかったみたいでちょっと箸をつけただけだった。
CAが入国に関する書類を配っていた。夫はその内容について出発前に調べていたみたいで、必要事項をすらすらと書き込み、ナビの画面を観ながら「もうすぐ成田に到着だ」と教えてくれた。
無事に着陸をして飛行機が駐機場に停止すると、CAが席に来てくれて上の荷物を降ろしてくれて「バスまでご一緒に」と運んでくれることになった。
しかし、タラップを降りている時にハプニングが起きた。CAが持ってくれていたボストンバッグの手提げ部分の片側が切れてしまったからで、泣きそうな表情で申し訳なさそうにする姿の彼女に「傷んでいて切れたことだから気にしないように。あなたの責任はゼロ%だから」と言葉を掛けていたが、バスに乗ってからそのバッグを抱えるようにしなければならないので大変だった。 続く
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