10年前の「独り言」を読みながら懐かしく当時を思い出し、改めてこんなページを構築くださった管理人さんに手を合わせている毎日である。
今日の号で2005年3月20日にあるインターから南関インターへ向かうために、九州自動車道の料金所を通り、本線へ入ろうと半径の小さなカーブを走行している時に感じた異変。それが「福岡西方沖地震」で、九州地区の歴史上でもかなり強い記録的な地震だった。
ハンドルはカーブに合わせて回転させていたが、どうも異常な遠心力で外側へ流されるような感じがあり、尋常でないことが恐怖感を抱かせた。
それが何だったのかは本線上をしばらく走行すると理解出来た。通常は最高速度が100キロなのに50キロ制限を伝えるように点滅しながら表示され、「地震」という文字が目に留まったからである。
南関インターで降りたが、その先にある八女や、久留米から北方面は揺れが強かったみたいで、久留米から先は通行止めになっていた。
その日のテレビのニュースや夕刊で知ったことだが、体験した震度が「5強」から「6弱」程度のものらしく、本線に入る前で速度の出ていない地点だったので幸運とも言えただろう。
前にも書いたが、全国各地に出掛けていたところから、あちこちで地震に遭遇した体験も
あるが、九州で行われた大手企業の社葬を終えて帰阪する際に、山陽自動車道の広島インターを過ぎたところで体感した出来事で、その後に運転中はしっかりとハンドルを握っておかなければならないという教訓となった体験でもあった。
制限速度100キロだったと記憶しているが、午後3時を回っており、通行量も少なかったのでオートクルーズ運転をしてアクセルを踏まなくても自動で走行してくれるシステムを活用中だった。
車の運転をされていない方のために加筆すると、走行している時に「この速度で」と思ったら方向指示器の先端にあるボタンを押すだけでそのモードに入り、上りでも下りでも指定した速度で走行してくれるシステムで、アクセルを踏まなくてもよいので随分と負担が軽減されるものだった。
やっと広島かと思ってからしばらくした頃だった。速度は100キロ。150メートルほど前方を走っている乗用車が急におかしな様相を見せた。瞬時に抱いたのはその車が居眠り運転をしているのではという疑問。危険に巻き込まれてはとブレーキを踏んでハンドルをしっかりと握った時、自分の車が横に流れるような異変を感じた。
オートクルーズはボタンを押して戻すかブレーキペダルを踏むかで解除され、その時は速度が75キロぐらいまで減速されており、そのままトンネル内に入ったが、今の現象は何だったのだろうかと考える中で気付いたのが地震。そう思うとトンネル内だったことが心細く、速度を上げてトンネル内から抜け出したい思いに駆られた。
情報を得るためにラジオのスイッチを入れる。それから3分も経たない内に地震の発生を伝える緊急放送が流れ、「広島県、山口県から愛媛県に大きな揺れを感じる地震がありました」と伝えていた。
2001年3月24日、午後3時27分のことと記録されているが、私が走行中に体感した揺れは震度6弱だったことを知ったが、通り過ぎた広島から西は通行止め止めになったという放送もあった。
これまでに何度か紹介したように、出掛けたあちこちで地震に遭遇するので恐ろしいが、今日に生かされている不思議に手を合わせている。
今日の写真はその時に訪れていた九州のホテル。荒尾の三井グリーンランド内に存在し、何度も利用したお気に入りだが、何よりそこで体感した整体師さんのゴッドハンド的な施術に感謝申し上げている。
今日の号で2005年3月20日にあるインターから南関インターへ向かうために、九州自動車道の料金所を通り、本線へ入ろうと半径の小さなカーブを走行している時に感じた異変。それが「福岡西方沖地震」で、九州地区の歴史上でもかなり強い記録的な地震だった。
ハンドルはカーブに合わせて回転させていたが、どうも異常な遠心力で外側へ流されるような感じがあり、尋常でないことが恐怖感を抱かせた。
それが何だったのかは本線上をしばらく走行すると理解出来た。通常は最高速度が100キロなのに50キロ制限を伝えるように点滅しながら表示され、「地震」という文字が目に留まったからである。
南関インターで降りたが、その先にある八女や、久留米から北方面は揺れが強かったみたいで、久留米から先は通行止めになっていた。
その日のテレビのニュースや夕刊で知ったことだが、体験した震度が「5強」から「6弱」程度のものらしく、本線に入る前で速度の出ていない地点だったので幸運とも言えただろう。
前にも書いたが、全国各地に出掛けていたところから、あちこちで地震に遭遇した体験も
あるが、九州で行われた大手企業の社葬を終えて帰阪する際に、山陽自動車道の広島インターを過ぎたところで体感した出来事で、その後に運転中はしっかりとハンドルを握っておかなければならないという教訓となった体験でもあった。
制限速度100キロだったと記憶しているが、午後3時を回っており、通行量も少なかったのでオートクルーズ運転をしてアクセルを踏まなくても自動で走行してくれるシステムを活用中だった。
車の運転をされていない方のために加筆すると、走行している時に「この速度で」と思ったら方向指示器の先端にあるボタンを押すだけでそのモードに入り、上りでも下りでも指定した速度で走行してくれるシステムで、アクセルを踏まなくてもよいので随分と負担が軽減されるものだった。
やっと広島かと思ってからしばらくした頃だった。速度は100キロ。150メートルほど前方を走っている乗用車が急におかしな様相を見せた。瞬時に抱いたのはその車が居眠り運転をしているのではという疑問。危険に巻き込まれてはとブレーキを踏んでハンドルをしっかりと握った時、自分の車が横に流れるような異変を感じた。
オートクルーズはボタンを押して戻すかブレーキペダルを踏むかで解除され、その時は速度が75キロぐらいまで減速されており、そのままトンネル内に入ったが、今の現象は何だったのだろうかと考える中で気付いたのが地震。そう思うとトンネル内だったことが心細く、速度を上げてトンネル内から抜け出したい思いに駆られた。
情報を得るためにラジオのスイッチを入れる。それから3分も経たない内に地震の発生を伝える緊急放送が流れ、「広島県、山口県から愛媛県に大きな揺れを感じる地震がありました」と伝えていた。
2001年3月24日、午後3時27分のことと記録されているが、私が走行中に体感した揺れは震度6弱だったことを知ったが、通り過ぎた広島から西は通行止め止めになったという放送もあった。
これまでに何度か紹介したように、出掛けたあちこちで地震に遭遇するので恐ろしいが、今日に生かされている不思議に手を合わせている。
今日の写真はその時に訪れていた九州のホテル。荒尾の三井グリーンランド内に存在し、何度も利用したお気に入りだが、何よりそこで体感した整体師さんのゴッドハンド的な施術に感謝申し上げている。
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