音楽とは人生に大きな影響を与えるもの。耳にするだけでその曲を初めて聞いた時のことが瞬時に思い出されることもあり、それらは自身の生涯の歴史として心に刻み込まれることになる。
小学校の卒業式に続いて教室で行われた「茶話会」、そこでみんなで歌ったのは「赤とんぼ」だったが、同窓会の度に歌う曲目となっている。
ある年に行われた同窓会で幹事から電話があり、司会を依頼されたのだが、その時に校歌も歌いたいので何とかならないかと言われたので、当日の朝に自宅にあったハモンドオルガンで記憶していた旋律を演奏して録音、会場で流したら喜ばれた。
放課後に校庭で遊んでいると「帰りましょう」と流れて来る曲が「アニー・ローリー」で忘れられないメロディとなっている。
中学1年生の時の音楽の先生は高齢な方だったが品のある素敵な女性だった。自慢話みたいになるが、私の声質を気に入ってくださったようで、1年間ずっと楽しい記憶となっていた。
しかし、2年生の初めての音楽教科の時間、30代ぐらいの女性の先生が私の名前を呼び、「1年生の時の先生から聞かされているので歌ってみて」と「オー・ソレミオ」を歌わされることになったのだが、春休みの間に強烈な声変りが始まり、全く歌えない状態になっていたので情けなかったことが忘れられない出来事となっている。
青春時代にラジオから流れて来た曲の印象が強烈だった。ポール・アンカの「ダイアナ」だったが、しばらくするとアメリカのヒット曲が続々と国内で歌われ、「悲しき片思い」の弘田三枝子さんの迫力ある歌声にびっくりしたものである。
自分に合う旋律は初めて耳にした瞬間に覚えてしまう不思議な体験をすることになるが、そんな代表的な旋律が「テルスター」と映画「西部開拓史」の中で使用されていたイギリス民謡「グリーン・スリーブス」だった。
フォークソングも流行し、複雑な問題からあまり流されなかった「イムジン河」や「竹田の子守唄」などが印象に残っている。
そんな頃に衝撃を受けた女性歌手が「ジョーン・バエズ」で、素晴らしい歌声と共に卓越したギター演奏のテクニックにも感嘆した。
ギターをやっていた友人の影響を受けて合奏をやったこともあるが、彼は「クロード・チアリ」さんの曲が好きで、合奏で中で最も多かったのは「夜霧の偲び逢い」だったが、スプートニクスの「霧のカレリア」が次ぐらいだったように記憶している。
ピアノを弾くというよりも叩いていたという歴史もあったが、35歳からハモンドオルガンに挑戦。指導を受けた先生の余っていたオルガンを購入。自宅でも練習出来るようになってすぐにレパートリーが増えたが、入門して最初に挑戦したのがビートルズの「オブラディ・オブラダ」で、次が「シバの女王」。そしてコニーフランシスの「カラーに口紅」と進んだ。
「手習い」という言葉を耳にしたことがあるが、50歳を迎えた年にピアノを習い始め、週に2回の不定期な時間帯にレッスンを受けに天満まで通っていたが、元タカラジェンヌという素敵な先生だった。
ある会合が弊社のホールで行われ、宴酣となったところでカラオケタイムとなったが、司会を担当していた私まで指名され、仕方なくギターの弾き語りで「サントワマミー」を歌ったら会場が静かになったことが印象に残っている。
そんな声も、大病を患って片側の声帯に機能を失ってしまったので喋ることさえ大変だったが、辛いリハビリを経て会話が可能となったことに喜びを感じる昨今である。
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