八寿代が若女将をしている旅館は高台にある温泉街にあった。10数軒のホテルや旅館が並んでいるが、丁度中間部に位置する和風旅館だが、歴史は古く、建物も文化財的な価値があるところから登録されるような話が進んでいるが、女将夫妻は賛成だが、若旦那と呼ばれている八寿代の夫は反対していた。
「老朽化して傷んだ処を修理するにも申請を出さなければならない面倒なことになるし、生まれ変わるようなリニューアル工事をしたいのだから賛成したくない」
そんな夫の考え方も理解出来るが、女将夫婦のよく言われる「伝統と歴史」の重要性も大切にしたいし、両者の狭間で苦悩している八寿代だった。
昨日は女将を乗せて市街地にある葬儀式場まで行った。女将の長年の友人が亡くなられ、何度か入院されていた病院へ送迎したこともあるが、女将の落胆振りはそれこそ焦燥感に包まれるほどで、50年以上の交流の中での思い出が悲しみを強くしているような思いがした。
葬儀の式場で勉強になった出来事があった。開式式前のことだが、故人のお孫さん達がデジカメを手に「記念の写真を撮ろう」と祭壇前でご遺影をバックにしていた時だった。そこで葬儀社のスタッフが優しい言葉遣いで「皆さん、『記念』ではありませんよ。こんな時は『記録』の言葉を用いるのです」と教えていたからだ。
享年73歳だったが、高校生と中学生の二人の女の子のお孫さんが、葬儀の式次第の中で「お婆ちゃんはカラオケが大好きで、いつもこの歌を歌っていました」と司会者から紹介され、一人が電子ピアノで伴奏をして一人が祭壇前で歌われた。
その曲は「川の流れのように」で、司会者の紹介の中で「献奏」「献唱」という言葉が出ていた。
歌はワンコーラスだけというのもよかったような気がした。上手というレベルではなかったが一生懸命歌われていた姿勢が素晴らしく、祭壇に飾られたご遺影が微笑んでおられるように感じた。
帰りの車中で女将が意義のある言葉を紹介してくれた。「今日の葬儀の中でお孫さん達が式次第に参加されたことは素晴らしいことで、不幸な儀式の中で少しでも不幸でないひとときが生まれていた。私達旅館の仕事は、ご利用される方々が少しでも幸せや安らぎを感じていただくことで、そのひとときを思い出としてお土産にお持ち帰りいただけるように担当するの」
この旅館の後継者に嫁いで若女将と呼ばれるようになったが、女将から教えられる様々なことは初めて耳にすることばかりで、その日に気付いたことをパソコンの中に打ち込んでいるが、そのページ数も100ページを超えている。
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