弘江が女将をしている旅館は辺鄙な山間部にあった。在来線の特急列車が停車する最寄駅から路線バスで20分という立地だが、前日までに予約があれば送迎の車が用意されている。
そんな不便な山間部の温泉地だが、美肌効果があると昔から知られており、最近では若い女性客が増えているので喜んでいる。
社長は夫が務めているが、夫は知る人ぞ知るという趣味があり、その世界では超有名人であり今日も全国から集まる会合の会場となっている。
夫は学生時代から鉄道ファンクラブに所属しており、「乗り鉄」「録り鉄」「撮り鉄」「飲み鉄」「食べ鉄」の全てを自身で謳歌しているのだから驚きだが、俗に「鉄ちゃん」と呼ばれる人達から「博士」や「先生」と呼ばれているのだから弘江も驚いている。
夫がそう呼ばれる事情は弘江には分からないが、「ダイヤの線引きが出来る」という能力があるそうで、鉄道ファンでもそれが出来る人は特別な人として認められると言われている。
今日の会合で38名の人達が集まるが、その中に若い女性が7人もいて2部屋を用意することになっている。
彼女達は「鉄子」や「女子鉄」と呼ばれる人達で、最近は鉄道ファンに女性が増え、寝台列車や特急列車の運転がなくなってしまう最後の列車に乗車するという「葬鉄」をして来たという人もいた。
中広間で宴会の前に会合が開かれるそうだが、そこでプロジェクターとスクリーンを準備している夫に確認すると、列車の運転席の後方から収録した映像や、最後の運転となった列車の出発光景や到着光景を流す企画もあるそうだし、録音された列車の走行音で「キハ**系」なんてクイズまであるというのだから信じられなかった。
大半の人達が列車を利用して来られるそうで。中型のバスを手配していると聞いていたが、旅館としては売り上げにつながる集会なので夫の道楽を歓迎している弘江だった。
2か月ほど前、そんな夫と九州の温泉へ行ったが、1泊2日で切符が20枚以上もあり、11日間も通用する連続乗車券だそうで、途中下車も可能というのだが一気に目的地まで行くのだから勿体ない気がした。
夫婦で「ジパング倶楽部」にも入会しているが、「おとなび」のメンバー登録もしているのでJRの割引切符が入手出来る。こんなことも夫がいつの間にか進めていたことで、会員証を見せられて初めて知ったという出来事だった。
夫と何処かへ出掛けるのは鉄道中心。過去に往路は飛行機だったが、復路は札幌から全て列車に乗り継いで東京まで戻るという行程で、「北斗星」や「カシオペア」の寝台でと思っていたらそうではなかったので戻ってから疲れで3日程寝込んだこともあった。
中広間で鉄道ファンクラブの会合が始まった。会場で流されている音が廊下まで聞こえて来る。その廊下は大浴場に行く時に通るところなのでどうしても耳に入って来る。そんな体験をされたお客様がびっくりされて、「何の会合なの?」とフロントへ確認に来られたと聞いた。
「女子鉄」の人から悲しい話を耳にした。ある若い女性が生まれた子供が喜ぶようにと肩に新幹線のタトゥ」を入れたというのだが、銭湯もプールも利用出来ないので嘆いているというものだったが、ピンクリボン活動で用意されている湯衣の提案もしてみたが、薄い物は濡れると鮮やかな色が透けて見えるので無理だそうで、特注の湯衣の用意やその部分が完全に隠せる水着を探したと知ったが、あるリゾートグループがそんなお客様のために貼って隠せるシールを準備しているというニュースもあった。
温泉旅館に宿泊して大浴場を利用出来ないのは寂しいこと。貸切露天風呂があると言っても大浴場とは趣が異なる。シール用いることで利用出来るなら大歓迎されることだう。
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