菊美が女将を務める旅館は23室あるが、チェックインからチェックアウトまで一人の仲居がその部屋係りとして専属となるのでお客様の満足度は高かったが、その仲居の有する個性や所作一つで結果が出てしまうので恐ろしい反面もあり、それらは諸刃の剣という問題を秘めていた。
菊美は常々から仲居の教育に厳しかったが、教えていることは当たり前のことばかりで、お客様が求めておられるスタッフの姿勢は「一生懸命」という結論が持論だった。
「言葉が重要で『言は動を変える』という言葉があるの。これはね、美しい言葉や丁寧な言葉を用いると仕種や所作が美しくなり丁寧になるということなの」
30人ほどいる仲居達を集めて菊美が指導している。
「お茶やお手拭きをお出しするのもサービス提供だけど、それらは片付けるという回収する時の方が神経を遣うべきで、そのタイミングを外すとミスと指摘されることになるの」
それは、例えばお手拭きを出したとすると、お客様がそれを使われたまま手にされたままだったら問題だという指摘で、お茶の入っていない湯呑を持ったままということも同じである。
「そうそう、これも付け加えておくことだけど、お出しするお茶の味の確認も怠らないでね。お茶の色のしているだけということもあるし、お手拭きの香りのチェックも重要よ
これらはテーブルのある場合には問題が発生しないが、ソファーだけでテーブルのないロビーなどでは気を付けなければならず、サービス提供の環境に「TPO」が重要だということにつながる。
「ミスをしてしまったら言い訳の前にまず謝罪ということも忘れないでください。お客様から頼まれていたことを失念してしまうことも考えられますが、ご指摘をされたらどんな事情があろうとも、すぐに謝罪から始めるのが私達接客サービス業の基本なの」
「それからお部屋からお客様から電話があった場合のことだけど、『もしもし、お待たせいたしました』が口癖になっている人もいるようだけど、『もしもし』はいらないの。『フロントでございます』とか『お部屋担当室の**です』と応対して欲しいの」
これらは予約などの電話の場合も重要で、「お待たせいたしまいた。**館でございます」ならよいが「もしもし、**館でございます」ならおかしくなり、ついやってしまう人達は意識することから減らし、限りなく「0」に近付けなければならない。
「それからね、『思います』という言葉の使い方も考えて欲しいの。お部屋にご案内して『このお部屋と館内の施設についてご案内したいと思います』はおかしいの。またお客様のおられるお部屋に参上して『お布団を準備させていただきたいと思います』もおかしいの。決まっていることを行動するのだから『思います』なら『あなたが思ってどうするの?』となる訳」
日頃の会話の中に何気なく使っている言葉の中におかしなことが多いことを学びたいもので、菊美は続いて場を和らげることを目的として笑えるような事例を語り出した。
「様々な仕事の世界にはマニュアルがあるけど、そのマニュアルに支配されてしまうことがあるから気を付けなければなりません。『こちらの浴衣がMサイズになります』なら今から何か変化が始まるようになるでしょう。そんなおかしな言葉が接客サービスの世界に目立っていることも事実なの。コンビニで煙草やお酒を購入する際に、タッチパネルに触れて年齢認証をするようなシステムがありますが、70歳になる方に『画面にタッチしてください』と言ってしまい、相手の方が『私が二十歳前後に見えるか?』とお怒りになったこともあるそうよ」
「それからね、マクドナルドの販売窓口スタッフが、10人分の注文をされたことに対して『お召し上がりですか? お持ち帰りですか?』と言葉を掛け、『一人でこんなに食べられる訳がない』と笑われた話も有名ね」
「それからフロントとお土産品の売店担当だけど、『1万円からでよろしかったでしょうか?』と確認する過去形の言葉がおかしいと考えて欲しいの」
「最後に言っておきたいことは美しい言葉というものは、日常の生活の中で汚い言葉を使っているとうっかりと出てしまうものなの、今から仲間同士の会話も美しい言葉で交わすように心掛けてください」
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