数日前、社長である夫に高校時代の同級生から電話があり、相談したいことがあるから女将の寿美も一緒にということだった。
今日の午後1時に来館される約束となっていたが、彼は家業である葬儀社を後継して隣町で営んでいるので、寿美はきっと法要サービスに関することだと考えていた。
多くの旅館やホテルが法要プランを打ち出している事実もある。それは法要を終えた後の「御斎(おとき)」を目的としていたが、それでは自宅やお寺を会場とされても仕出し店の料理を手配すればそれまでで、館内の部屋で法要そのものを行える対応も重要となっていた。
焼香や線香の香りの問題があるが、専用の部屋を準備することで対応出来るし、今は化学的な消臭対策もいっぱいあるので心配をしていなかった。
法要を受けるともう一つ期待出来るメリットがある。それは遠方から出席されるご親戚の方の宿泊につながるからで、寿美の旅館でも法要で会食されるお客様には大浴場の利用も可能と宣伝していた。
数年前に受けた研修会で意外と難しいのがお寺様への対応。ある大手ホテルが満中陰法要を受けてお寺様の控室を準備せず、会食ルームのコーナーにパーテーションで区切って机と椅子をセットしていたら、偉く叱責されて説教をされた話も出ていた。
何より歓迎したいのは利用される時間帯で、通常のお客様がチェックアウトされた後の午前11時頃から法要が始まり、その後に昼食を兼ねて会食という流れだった。
昔、結婚式は神社で行われる神前結婚式が主流だった。披露宴も神社の境内にある建物で行われていたが、ホテル業界が「披露宴の利用を」と勧めても、新婦の移動や親戚の人達の抵抗感もあって中々流れることはなかった。そこで方向転換したのがホテル内に神殿を作り、本物の神主さんや宮司を迎えて神前結婚式を執り行う発想で、それらは徐々に流行するようになり、貸衣装、写真室、メーキャップ、髪結い、エステなどグローバルにサービス展開を進め、やがては映画やテレビの影響から流行しつつあったキリスト教の教会まで作って対応、「花嫁さんの我儘を大切にします」というキャッチコピーも登場していた。
午後1時、定刻に彼が来館した。寿美も夫と何度か彼の会社へ行ったこともあるので顔は知っていたが、4年振りの再会となり、少し中年太りの体型になったような気がした。
彼の提案は予想だにしなかったことで、館内の使っていない離れの部屋を葬儀の式場にしないかというものだった。お通夜や葬儀という形式ではなく、「お別れの会」や「偲ぶ会」形式を描いており、葬儀そのものは家族だけで誰にも知らせず密葬義に近い「家族葬」と執り行い、後日に参列して欲しい人達だけに通知状を送付して行うというもので、出席者数も確実に把握可能でブッフェ形式の会食も考えたいとの提案だった。
彼はそのサービスを「旅館葬」というネーミングを考えていたが、夫が「それは誤解を招いて一人歩きする危険性がある。マスメディアで話題が採り上げられた細部の内容までは触れずに見出しだけ強調されるだろう」と言葉を挟み、寿美も発想は悪くないけどどのように社会認知すればよいのだろうと想像を膨らませていた。
21世紀の葬儀は究極なまでに無駄省きが潮流となり、その中に義理的参列者の割愛という重要テーマも秘められているのは事実だが、限られた人達だけに通知をしても、そこから伝わってしまうことも考えられ、そうならないようにするためには通知状の文面にしっかりとした大義名分が必要だと言うのが夫の意見だった。
「故人の生前の意思を尊重して限られた方々だけのお知らせといたしました」というような一文を添えることが重要で、知らされなかった人達が知ることになっても気分を害されることのないようなシナリオを描かなければならず、互いが勉強してまた改めて話し合うことになった。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「小説 女将、「旅館葬」にびっくり」へのコメントを投稿してください。