社会に二極化という言葉があるが、旅館という業務形態もそんな分析がされるようになって久しい。
ホテルはビジネスやシティーという区分けもあるし、総合ホテルという呼称もあるが、旅館業界に潮流なのは露天風呂付きの部屋を増やすリニューアルに取り組むケースが増えたことで、大手旅行会社もプレミアムという表記区別して予約を受ける窓口を設けているところも出て来た。
料理も量を減らして質をアップさせる選択を提案しているところも登場したし、夫婦連れで利用した場合に2人の夕食メニューを自由に選択出来るサービスも人気が高い。
奈緒美が女将をしている旅館の社長は夫だが、勉強を兼ねて2人であちこちへ出掛けて客としてサービスを受けることもあるが、そこから学ぶことになったことは多く、それらは見事に活かされていると言えるだろう。
奈緒美が若女将から女将になったのはまだ30代の頃で、もうあれから20数年経つが、当時に話題になった旅館が登場したので印象に残っている。
ある日、夫から「これを知っているか?」と聞かれて初めて業界情報誌を見たのだが、その旅館の特別室の宿泊料は一人50万円で、夫婦2人なら100万円だし、そこにサービス料と税金が加算されるのだから加算される金額だけで交通費も出て来る旅行が可能と話題になった。
全室離れの設えで、日本を代表する設計家と建設業者が請け負って出来上がった数寄屋造りと呼ばれる建物だったが、余りにも高額すぎて話題にはなっても実際に利用された人達のコスパ評価は低く、経営状況が悪化して民事再生に至った歴史もあった。
女将という仕事をやっていると面白い体験をすることもある。数年前のことだったが、部屋係の仲居が担当したお客様から心付けを頂戴したのだが、それが1万円札をそのままで5枚くださったのでびっくりして奈緒美の所へ持って来た。
受け取った際の状況を確認するとご夫婦のお客様で、奥様が大浴場へ行かれている間の出来事だったと知っておかしいと気付き、ご主人に内緒で奥様に伺ったら「認知症」の問題があるそうで、お返ししたら1万円をくださった。
何か申し訳なくお気の毒に感じた奈緒美は、チェックアウトの際にお土産としてご夫婦分の湯呑をプレゼントすることにしたのだが、それを大層喜んでくださった奥様からご丁寧なお礼状が届いて恐縮したことが印象に残っている。
ご高齢のご夫婦が来られることは歓迎だが、大浴場で転ばれて骨折でもされたら大変である。そこで部屋に案内する仲居が「大浴場は滑り易くなっていて危険ですからお気を付けください」と伝えることにしているが、それは奈緒美自身が安堵するための目的になっているのかもしれない。
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