我が家のテレビの調子がおかしくなった。購入してから7年経っているシャープの亀山モデルだが、スイッチを入れると襖みたいな画面が出て、徐々に赤くなってから黒くなり、正常な画面が出るまで3分ほど要するようになっている。
音声は正常で画面だけがおかしいのだが、かつてシャープに勤務していた二人の同級生のことを思い出した。
一人は液晶の開発に携わり、もう一人はペンで画面を押さえるパソコンのシステム開発に携わったというどちらも知られる人物だが、年賀状の交流があるので年末までこの世に存命していたら、そんな事実をしたためてやろうと思っている。
そんな二人といつも同窓会で激論を交わす人物がいる。彼は昔の松下電器で社内改革に取り組んだ責任者。互いが技術者だったので他の者達には意味不明な専門用語が飛び交っていたので印象に残っている。
いつも「ちばてつや」さんのマンガの主人公である「石田国松」君の絵を描いた葉書を送ってくれていた同級生もいた。彼はアメリカの大学で都市工学や土木を研究し、帰国後に日本道路公団で様々な道路建設に従事、人吉のループ橋、九州自動車道や四国の高速道路も担当していた。
互いに高齢になって健康に留意しなければならないが、近い将来に会えなかったら「あの世」で再会出来るだろうと思っている。
イスラム教、キリスト教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教など世界には様々な主教の存在があるが、天国と極楽のように来世を説く考え方にも差があり、互いの信仰が異なれば違う世界へ行くことになるのだろうかという素朴な疑問を抱いてしまう。
チベットの宗教思想に輪廻転生という考え方があるが、仏教にも「四有」という言葉があり「生有」「本有」「死有」「中有」はこの世に生を享けてから死を迎え、来世に生まれ変わることを説いており、「中有」は「中陰」と同意になっている。
最近になって愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」に問い合わせをいただくことが増えた。他のコラムに書いたこともあるが、「あの世」に興味を抱かれる方が多くなっているようだ。
数日前、ある人物から別のコラムを抜粋して出版をと勧められたが、ネットの電子書籍の話も出て来たのでびっくりだった。
葬儀に対する考え方も急変してしまったようで、大手スーパーが葬儀の紹介ビジネスを始めたり、大手生花会社が葬儀の仕事をネットで広告掲載をするようになったが、葬儀は祭壇や物を売る仕事ではない。祭壇の奥に何があることを考えるべきで、決して「処理」みたいな考え方でして欲しくないと願っている。
長年この仕事に従事して来たが、そんな中で嬉しかった喪主さんのご挨拶が忘れられず、そこに葬儀の大切な意義が秘められているように思っている。
葬儀が終わって喪主さんの謝辞が始まった。参列者への会葬御礼と生前の厚誼に対する一般的な言葉があったのだが、最後に言いたいことがありますのでと次のように仰ったからだ。
「皆さん、私は誰もが知られるように親不孝をして来たと思っておりますが、この葬儀社さんに依頼したことで最後に親孝行が出来ました。葬儀屋さん、有り難う」
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