社長を務めている夫が28歳、女将をしている嘉代子が25歳の時に結婚したが、もうすぐに30年目を迎えるし、夫の還暦も同時になるので何かをしなければと思っていたが、ある日の夜、遅めの夕食のひとときの中で、夫から予想もしなかった提案が出て来た。
夫は数年前に大病を患って今は杖を手にする生活を過ごしており、リハビリから生活出来るように回復したのは奇跡的と言われ、「残りの人生は『おまけ』みたいなもの」と常々言っているが、もう駄目という状況からこんなになるとは考えられなかったことで、救急車で搬入された病院で検査後に医師から言われた「脳幹損傷・延髄損傷・左半身温覚痛覚麻痺・右半身不随・嚥下障害・声帯半壊・誤嚥性肺炎・呂律回らず・複視発症・右顔面麻痺・ 言語障害」と言われた時は介護を覚悟したが、転院してリハビリを懸命に取り組んだ頃から奇跡的に改善し、自宅の階段などに手摺りを設置する基本的なバリアフリー工事をしただけで生活が可能となったのだから不思議である。
そんな夫が言っているのが「味覚が感じられることと嚥下障害を克服出来たことは幸運だった」ということで、生かされていても食べることの喜びがなければ楽しみが失せて生きている価値はないというものだった。
「嘉代子、1週間ほどオーストラリア旅行に行かないか?」という言葉にびっくりするのは当たり前。杖を手にキャリーバッグを引っ張って外国旅行に行くなんて想像もしなかったことで「ご冗談でしょう?」と返すと「本気だ」と真剣な表情で「行きたいと思っている」と加えた。
20年以上前になるが、かつて夫婦で生活をしていた隣町のマンションが広く、一室を外国の留学生達がやっている英会話教室に提供していたことがあり、イギリス、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、オーストラリアの学生達との交流もあり、それぞれが帰国して結婚する時に招待状を貰ったこともあり、嘉代子はオーストラリアの2人の結婚式に出席していた歴史があった。
彼女達が帰国する前に松阪へ伴い、松阪牛を食べさせたことがある夫はその時に発言していた「死ぬまでに行くからね。その時はよろしく」と言っていたことを実現しようとしているのかもしれないが、嘉代子もすぐに行く気持ちになっていた。
人間とは目的が出来ると行動が始まるもので、その日の内に様々な情報誌を集めて行程を考え始めたようで、2日後には交流のある大手旅行会社の海外旅行のオセアニア担当課長に来館して貰い、2時間ほど教えて貰っていた。
数日後には2人で役場に行って夫だけ必要なパスポート申請に関する書類の交付を受け、写真を撮影してから電車に乗って県のパスポート窓口で手続きをしたが、関係書類を出してから受け付け書類を貰うまで待っていると夫の名前が呼ばれてミステリーみたいなことが起きた。
「おかしなことだが、私のパスポートの期限がまだ半年以上残っているそうだが、過去にそんな申請をした記憶がないんだ。成田、羽田、中部以外は考えられないし」と言ってもう一度担当者の所へ行ってやりとりをしている。
担当者はやがてコンピューターのキーボードを叩いて書類をプリントアウト、「お見せするだけですが」と見せてくれたのが前回の申請で提出された書類のコピーで、それを確認した夫は「これ、私の字だ。間違いない。記憶がないのに?」と思い出せないようだ。
待合のベンチシートに並んで座って9年半前のことらしいけど何か思い出せない?」と伝えても疑問は一向に解決しない。「成田、羽田、中部の記憶がないそうだけど、関西や福岡は?」と嘉代子が言うと、「待てよ、あるわ!関西から飛んだサイパンがあるわ。姪の結婚式に出席した時だ」と記憶が戻ったようだった。
パスポートは新しく申請するより、有効期限が残っている物を延長申請する方が早く受領出来るので帰宅してから大事な物を収納している引き出しを開けたら、そこから随分若い夫の写真が貼られている古いパスポートが発見出来た。
その日の内にもう一度持参して手続きを進め、後は日程、航空券とホテルの予約となるが、これらは旅行会社の課長のアドバイスを参考に決定することにした。 続く
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