女将の真澄がこの旅館に嫁いで来たのは20代後半だった。齢を重ねて若女将から女将と呼ばれるようになって6年目を迎えているが、還暦を前にする夫と共に随分と体力が衰えたことを感じている。
旅館のフロントやロビー、また大浴場につながる廊下にも文字が書かれた額が掲示されているが、それは社長である夫が昔から傾倒している「相田みつを」さんの作品である。
最初に掲示された作品がフロントの壁にあるが、「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」という有名なものであった。
「出会いが人を変え 感動が人を動かす」の作品は夫が先代から社長を後継した時の記念に選んで掲げたもので、旅館という仕事に携わる人達は大切にするべき言葉として常々からスタッフに語り伝えている。
夫によると「相田みつを」さんの言葉は仏教的で禅の世界を彷彿させると言っているが、そんな思いから選択した額が「そんかとくか人間のものさし うそかまことか佛さまのものさし」であった。
民主党の政権になって菅氏から野田佳彦氏に総理が交代した時、「どじょうがさ 金魚のまねをすることねんだなあ」という言葉が話題になったが、その言葉の額をすぐに入手、大浴場への廊下に掲示されている。
これらの作品は有名なのでご存じお客様も多いが、中には初めてという方もあり、「感じました」と言われたことも少なくなかった。
真澄がそんな夫の愛読書である「プレジデント」を読むようになったのも嫁いで来てからだが、30歳を迎える前に読んだ特集記事に「金子みすゞ」さんの詩の世界があり、一編の詩を目にした瞬間にファンになってしまい、それから彼女の作品に関する書物を蒐集するようになった。
夫婦で楽しみにしているテレビ番組がある。毎週月曜日の夜にBSで放送されている「フォレスタ」のコーラスだが、この番組を提供している「非破壊検査株式会社」が「金子みすゞ」さんの詩を活用してことに好感を抱いており、「大人の番組を提供するいい会社だなあ」という会話を交わしている。
真澄は何度か山口県の仙崎にある「金子みすゞ」記念館を訪れたことがあるが、昨年に交流のある長門の温泉旅館の女将に案内されて行った「青海島」の「向岸寺」への参拝は初めて知った世界があり、彼女の作品の「かたばみ」と「鯨法会」がこのお寺にゆかりがあることを知り、300年も前から捕獲した鯨それぞれ戒名を授け、過去帳を祀って法要をしている事実に驚くことになった。
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