与志江が女将をしている旅館にお客様に評価の高い仲居がいる。リピーターで来られるお客様の全てが彼女を部屋係として指名されるのだから驚きだが、中にはご利用くださったお客様からの口コミからやって来られたお客様もあった。
彼女は現在28歳。スカウトしたのは社長である夫だが、東京へ出張した際にふと立ち寄った和風の料理店スタッフとして勤務していた彼女。その仕草や雰囲気が純日本的で、その日の閉店時にストーカーみたいに店の近くで待ち伏せ、「怪しい者ではありません。是非私の話を聞いてください」と近くにあったファミレスで仲居を勧めたと経緯があった。
彼女は九州から上京してホテルに勤務していた歴史があり、結婚してからすぐに離婚したという所謂バツイチの女性だったが、夫はおかしな者ではない証拠として彼女の前で与志江に電話を入れ、ある程度の事情を聞いてから「彼女を口説いてくれ」と電話を代わった。
過去にもそんな夫の行動があったこともあるが、素晴らしい人材を見つけることに関しては卓越しており、彼女で3人目となっていた。
初めてスカウト行動をしたのは名古屋のうなぎ料理店に夫婦で立ち寄った時のことだった。注文を聞きに来てお茶を出してくれた仕草や言葉遣いに感心した夫は、注文の品をテーブルの上に運んで来た時に声を掛け、冗談みたいに「うちで勤務しませんか?」と声を掛けたら何か特別の事情があったみたいで興味を示され、その日の夜に夫婦が宿泊しているホテルのラウンジで話し合って入社が決まった。
もしも彼女がその店の娘さんだったら前に進む話ではないが、これもご仏縁というのだろうか、とても不思議な出会いになったと言えるだろう。
与志江の旅館ではチェックイン時からチェックアウトまで一人の仲居が担当するシステムになっている。これはお客様にとって「当たり・外れ」という問題はあるが、コミュニケーションとしてはメリットがあり。前述の名古屋の女性が入社した時に一気にシステムを変更させ、現在に至っているが、それぞれの仲居個人のイメージがお客様に与える影響力は何より基本的な接遇態度が重要。この道のプロと呼ばれる人達を招いて何度も指導を受けた歴史があり、今では輝くスタッフが揃っていると自負している与志江だった。
与志江も仲居の経験がある。この旅館の後継者である夫に嫁いで若女将として行動するのだと夫から教えられていたのに、先代女将が厳しい人物で、「若女将になる前に仲居として勉強しなさい。石の上にも3年ですよ」と3年間体験した過去がある訳だが、その時の経験はそれこそ貴重な勉強で、先代女将が亡くなってからも心から感謝している。
その先代女将が教えてくれた言葉が印象に残っている。「若女将はね、何かミスを仕出かしても女将がバックに存在するので謝罪のエネルギーは少なくて済むけど、女将となると全責務を負うことになるのだから崖っぷちに立っていると覚悟が必要なの」ということだが、その言葉の意味を本当に認識した時は若女将から女将と呼ばれるようになった頃で、その責務の重圧感に何度も苛まれて現在に至っており、これも女将の宿命と考えている与志江だった。
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