社会に自動車電話が登場した頃のことだった。基本料金だけでも月間3万円以上の費用が掛かるので大きな負担だったが、便利なことは確かで、自分の車に取り付けて貰い、トランクの中から取り外して携帯にも対応可能なものを選択したが、バッテリーが20分も持たないので苦労があった。
そんな自動車電話が役立ったのはそれから4日後のこと。通行止めになるような大雨が降っていた名阪国道を名古屋方面へ走行中、上柘植インター付近の反対車線で2トントラックがスリップしたみたいで横転。すぐに110番に連絡したら「滋賀県警」につながり、すぐに対応を始めるということでトンネルに差し掛かった。
加太トンネルや関トンネルを通過しても大雨が続いている。もうすぐ四日市インターという付近で左のガードレールに直角にぶつかる軽自動車の事故を目撃、また110番に連絡したら今度は「三重県警」が対応してくれ、事故現場近くのキロ表示を連絡したら「有り難うございました。お気を付けて」と言われた。
どちらも出血しているようには見えなかったので重症ではなかったと想像したが、原因がハイドロブレーニング現象ではと考えていた。
雨の路面で時速90キロから110キロぐらいでタイヤと地面の間に水の幕が生じ、そのまま氷の上を滑っているような現象をそう呼ぶのだが、ハンドルもブレーキも要注意という危険な状態となってしまう。
すり減ったタイヤは特に危険で、タイヤに命を預けるという考え方もあり、タイヤショップを営んでいる友人の勧めでずっと25000キロ毎に新しいタイヤに交換していた。
20代の頃にチューブレスタイヤが登場。パンクして空気圧が減ってしまったらスプレー缶みたいなもので応急処置が可能で、いつもトランクの中に摘み込んでいたが一度も使用することはなかった。
運転免許証を取得した頃はパンクする車が多かった。その原因の大半が路面に落ちている「釘」で、前輪で踏んで立っている状態になった時に後輪に刺さるというケースが多く、前輪がパンクするのは雨で路面が濡れた地道で、釘が立ったままとなっているからだった。
当時は路肩で焚火をする人が多かったし、釘が刺さったままの廃材を燃やして灰を地道に捨てる行為がそんな状況を作り出していたようだった。
これはミステリーみたいな話だが、自動車電話で不思議な現象が起きていたので触れておこう。電波を受信している状況を表示するアンテナみたいなグラフの棒だが、「瓜破斎場」の入り口を過ぎるとすぐに圏外になってしまい、それは通称長柄斎場と呼ばれていた北斎場でも同じ現象があったので今でも不思議だったと思っている。
今日は阪神淡路大震災から20年目を迎えた。両陛下がご出席され犠牲者の追悼式が行われていたが、設営を担当していたのは弊社が加盟している協会の仲間の業者だった。10年前の追悼式の設営時に参加させて貰ったが、指定座席の名簿を目にしてびっくりしたことがあった。最高裁長官や両議院の議長などの参列もあったのだが、両陛下がお通りになる通路やお席の向かい側は全て皇宮警察官とSPとなっていたからだ。
今日の写真はそんな追悼式が行われた兵庫県公館を。
そんな自動車電話が役立ったのはそれから4日後のこと。通行止めになるような大雨が降っていた名阪国道を名古屋方面へ走行中、上柘植インター付近の反対車線で2トントラックがスリップしたみたいで横転。すぐに110番に連絡したら「滋賀県警」につながり、すぐに対応を始めるということでトンネルに差し掛かった。
加太トンネルや関トンネルを通過しても大雨が続いている。もうすぐ四日市インターという付近で左のガードレールに直角にぶつかる軽自動車の事故を目撃、また110番に連絡したら今度は「三重県警」が対応してくれ、事故現場近くのキロ表示を連絡したら「有り難うございました。お気を付けて」と言われた。
どちらも出血しているようには見えなかったので重症ではなかったと想像したが、原因がハイドロブレーニング現象ではと考えていた。
雨の路面で時速90キロから110キロぐらいでタイヤと地面の間に水の幕が生じ、そのまま氷の上を滑っているような現象をそう呼ぶのだが、ハンドルもブレーキも要注意という危険な状態となってしまう。
すり減ったタイヤは特に危険で、タイヤに命を預けるという考え方もあり、タイヤショップを営んでいる友人の勧めでずっと25000キロ毎に新しいタイヤに交換していた。
20代の頃にチューブレスタイヤが登場。パンクして空気圧が減ってしまったらスプレー缶みたいなもので応急処置が可能で、いつもトランクの中に摘み込んでいたが一度も使用することはなかった。
運転免許証を取得した頃はパンクする車が多かった。その原因の大半が路面に落ちている「釘」で、前輪で踏んで立っている状態になった時に後輪に刺さるというケースが多く、前輪がパンクするのは雨で路面が濡れた地道で、釘が立ったままとなっているからだった。
当時は路肩で焚火をする人が多かったし、釘が刺さったままの廃材を燃やして灰を地道に捨てる行為がそんな状況を作り出していたようだった。
これはミステリーみたいな話だが、自動車電話で不思議な現象が起きていたので触れておこう。電波を受信している状況を表示するアンテナみたいなグラフの棒だが、「瓜破斎場」の入り口を過ぎるとすぐに圏外になってしまい、それは通称長柄斎場と呼ばれていた北斎場でも同じ現象があったので今でも不思議だったと思っている。
今日は阪神淡路大震災から20年目を迎えた。両陛下がご出席され犠牲者の追悼式が行われていたが、設営を担当していたのは弊社が加盟している協会の仲間の業者だった。10年前の追悼式の設営時に参加させて貰ったが、指定座席の名簿を目にしてびっくりしたことがあった。最高裁長官や両議院の議長などの参列もあったのだが、両陛下がお通りになる通路やお席の向かい側は全て皇宮警察官とSPとなっていたからだ。
今日の写真はそんな追悼式が行われた兵庫県公館を。
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