東京のホテルで行われていた女将研修会で一緒になり、その後にずっと交友の深い東北の温泉地の女将夫妻が来館された。
電話で連絡があったのは2日前だが、ご主人が半月ほど入院されていて退院されたので気晴らしに旅行をというものだった。
何の病気だったかは知らされていないが、アルコールが一切禁止で天ぷらや唐揚げなどの油物料理を避けて欲しいとのことで、その旨は料理長に伝えていた。
長野県の辺鄙な山間部にある永華の旅館だが、最寄り駅のあるJRの路線に有名な秘境駅があるところから最近は秘境駅ブームらしく、一人旅の鉄道ファンのお客様も少なくない。
永華の旅館には名品と呼ばれる料理皿や器がある。先代社長の趣味から収集していた物で、歴史に知られる「魯山人」にゆかりのある皿や茶碗もあった。
食事制限されているらしいので器だけでも特別な物でと考えて料理長に頼んでいたが、久し振りに会って部屋へ案内したまま1時間ほど過ごしてしまった。
「この人ね、深夜に痛い痛いと言って電気を付けたのでびっくりしたわ。何か左肩から背中に掛けて激痛が走るのでもうちょっとで救急車を依頼しようかというところだったのだけど、朝方になったら嘘みたいによくなって安心していたのよ」
「それは初めて体験した痛さで、ひょっとして心筋梗塞ではと思ったぐらいでした」
「それがね、3日ほどしたら夜中に腰が痛いと言い出して寝返りも打てないと訴え出したのよ」
「ギックリ腰の体験は何度かあるのですが、全然異なる痛さで普通でないと思っていたら朝方にケロッと治り、それが3日間ほど続き、その頃から腹部に違和感を覚え始め、鈍痛という症状が出て来てこれは普通でないといつもお世話になっている医院で診察を受けたら、『紹介状を書くからすぐに県立病院へ』と言われて驚きましたよ」
「それでね、私が車を運転して県立病院の救急外来に行ったのだけど、採血の後にCT撮影をしたら担当医の方が『このまま入院です』と言われたからびっくりだったわ」
そこで初めて病名が「急性膵炎」と教えられたが、前方腹部ではなく背中や腰の部分から痛みや異変を感じる症状があることは事務所スタッフに同じ病気の人物がいるので理解していた。
「女将さん、食事の出来ない病気の入院とは最悪ですよ。痛い目をして点滴と採血ばかり。10日間も絶食さされてやっと食事が出されたら、一粒の米も入っていないお粥と具の一切ない味噌汁には参りましたよ」
「何かね、その時に添えられていた紙パックのリンゴジュースが美味しかったそうで、退院してから毎日コンビニで買って来ているし、今日もバッグの中に2本入れて来ているの」
「痛い目に遭って採血と点滴がまた痛い。それで食べられずに高額な入院費用を支払う病気なんて患者にとって最悪だったし、アルコールを一切飲めないなんて人生が終わった思いですよ」
そんなご夫婦の夕食のひとときを迎えた。料理長が神経を遣った料理で対応してくれている。ご夫婦は想像以上に喜んでくれたが、料理皿や器を目にされたご主人が驚かれ、これ、誰のご趣味で?」と問われた器は、3年ほど前に佐賀県の嬉野温泉に行った際、永華が伊万里の郷で気に行って購入して来たものだった。
それは高額だったけど、それこそ一目惚れというのだろうか、永華に持ち帰って欲しいと訴えているような感じがしたので購入したものだった。
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