台風が襲来するとお客様のキャンセルが発生する。中には2か月前に予約をされて楽しみにされていた旅行の変更を余儀なくされるケースもあるので気の毒だが、大手のホテルの場合に団体さんがキャンセルとなって仕入れていた食材に無駄が発生するので最悪となる。
周子が女将をしている旅館にも昨日の昼過ぎにキャンセルの電話が3組あった。皆さんは九州から来られるお客様だったが、福岡空港からの便が欠航となって日程を変更されるそうで、「また改めて予約の電話をしますから」と言われていたそうだ。
こんなケースでキャンセル料をいただくことは出来ない。原因が自然気象というのは仕方がないこと。秋のこの時期になるといつも台風情報に気を付けている。
3日前にご利用くださったお客様が今日は金沢市へ行かれている筈だが、夜のニュースで風速40メートルを記録したそうで心配している。このご夫婦は熊本市内から少し離れた温泉地で旅館を経営されているが、今春の大地震で甚大な被害が出たそうで、同業としてお話を伺いながらご夫妻がその後に対応された行動に感動した。
「2回目なんて信じられないほど揺れましたよ。瞬間に停電しましたからね。まさか続いてこんな大地震が発生するなんて想像もしなかったことですから。
自家発電のシステムもあったそうだが、それも被害で機能せず、館内は緊急用に用意してあったローソクを使ったそうだが、余震で火災につながらないような配慮が必要で、金属箱の蓋や大きな皿を利用したそうだ。
「道路も通行できない状態だったので仕方なくお客様に3日間滞在いただくことになりましたけど、水や食料の備蓄がしてありましたので助かりました」
人は空腹になると怒りが強くなると指摘されている。観光地へ向かうバスが事故渋滞などで何時間も目的地に到着出来ない場合、車内のお客様に何か食べる物を配ると落ち着かれるというのが添乗員の定説で、備蓄の食事を提供したら大層喜ばれたと仰っていた。
全てのお客様をお見送りしてからどうするか考えていたのですが、幸い停電が1週間で回復したので恐る恐る温泉の厳選ポンプを動かしたら問題がなく。どれほど嬉しかったかご理解出来るでしょう」
ご夫妻はその日から県内の被災者の皆さんに無料で大浴場を提供し、行政の広報を通じて復興に携わるボランティアの人達にも利用して貰ったそうである。
「スタッフの中にも自宅が倒壊してしまった人もあり、3か月は営業再開は無理だと覚悟していましたが、電機やガスが予想外に早く復興出来たので助かりました」
ご夫妻の旅館は3年前に耐震対応の工事をしていたことで建物被害が少なかったので幸運だったそうだが、温泉地のホテルや旅館で全壊や半壊でどうにもならないところもあったと聞いて、夫と耐震工事をもう一度専門家にチェックして貰おうという相談をした。
周子の旅館の今は亡き先代夫妻から、「旅館で最優先することはお客様の安全で、安心を提供することを忘れないように」と教えられたことを改めて思い出した周子だった。
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