麗佳がこの旅館の後継者に嫁いで若女将と呼ばれるようになったのは昨年だったが、義母の女将の指導教育は厳しく、夫から「耐えることは人を大きくするから我慢してくれ」と言われ、ずっと辛い日々を過ごしている。
数日前、朝から叱られた。フロントで女将が玄関から入って来られるのが目に留まり、ロビーに出て「おはようございます」とご挨拶したら、「何ですか、その着物の着付けは?」と事務所に連れて行かれて帯を解かれてしっかりと着付けをされ、それをスタッフ達が面白そうな目で見ているように感じたので泣きたくなった。
そんな麗佳だが今日は女将と一緒に金沢のホテルで行われるセミナーに参加することになった。午後からの2講座の申し込みをしており、どちらも増えている外国人観光客に対するおもてなしについてがテーマとなっていた。
午後1時から始まるので午前中に金沢に到着しなければならず、朝早くの「特急しなの」で長野に行き、初めて利用することになった北陸新幹線で金沢に着いた。
蕎麦屋さんに入って昼食を済ませてから会場のホテルへ入ったが、すでに終わっていた午前中の講座には「女将の役割」がテーマになっていたものがあり、麗佳はそれも受講したかったと思っていた。
今回の主催は大手旅行会社だが、行政の後援があって出席者も随分と多かった。講師の言葉で最も印象に残ったのは、「外国人の観光客達の最高のおもてなしの基本は言葉が通じること」で、英会話なら何とかなる麗佳は少しだけ自信が持てた。
講座が終わったのが午後4時半だったが、ホテルや旅館の関係者が多いようで、講師に対する質疑応答で参考になったことが多く、今回の参加は予想以上の成果が得られることになり、明日から役立つこともあるところから自然にうれしそうな表情になっていたようだが、そんな麗佳に「何を嬉しいの?」と女将が声を掛け、ホテルの玄関からタクシーに乗ると金沢駅ではない行き先を告げたのでびっくりした。
日帰りを思い込んでいた麗佳だ、女将は「これも勉強だからね」と、知られる温泉地の有名な旅館で一泊することになった。
タクシーが玄関に到着するとすでに番頭さんらしい人物と若い女将さんが待っておられ、この時間はずっと待機しているのだろうと考えていると、女将が「これは科学よ。入口に門があったでしょう。あそこにセンサーがある筈よ」と推察したことを教えてくれた。
チェックイン時に1週間ほど前に予約をしていたことと、この旅館との交流がないことだけは分かった。
タクシーの車内で女将から伝えられていたが、麗佳の旅館とは全くレベルが異なる高級旅館で、宿泊料金は麗佳の旅館の倍に設定されていた。
中居さんに案内されて部屋に入り、お茶を準備していただいてお茶菓子が出て来たが、女将は準備していたポチ袋を中居に手渡し、「お世話になります。よろしくお願いします」と言葉を掛けたが、中居は「恐れ入ります」とスマートな受け取り方を見せてくれた。
大浴場での入浴を済ませて部屋に戻ってしばらくすると夕食の準備が進められた。この旅館の夕食は部屋食で創作料理だそうだが、前菜が出されてしばらくすると「失礼いたします」と女将がご挨拶に来られた。
麗佳はそのひとときに興味を抱くのは当然だったが、玄関で迎えてくれた女将が若いと思っていたら50歳を過ぎている事実にびっくり、10歳以上は若く見えるので何か秘訣がと聞いてみたくなっていたが、その女将が意外なことを言い出した。
「失礼ですが、お客様は普通のお方ではございませんね。ひょっとして私と同じようなお立場では?」
その言葉に麗佳はすぐに「どうしてそんなことを?」と驚嘆した思いを言葉に表した。
「お召の置物が普通ではございませんし、着こなしが別格で、和の気品が感じられますから」
この言葉に両女将の凄さに改めて驚き、厳しい着付けの意味を再認識することになった。
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