10年前の「独り言」で入院していたことに触れていた。半月ほど忙しくて日に2食という日が続き、咽喉に異変を感じ始めて微熱の症状もあり、1周間ほど医院で点滴を受けていたが食事だけではなく水も飲めないような咽喉の激痛まで出て来た。
ずっと我慢しながら仕事をしていたが、その日は朝から最悪の状態で急遽耳鼻科で診察を受けることにした。
待合室は満員で約1時間も待つことに。やっと名前を呼ばれて診察室に入り、先生が咽喉の症状確認をされたら、「ウーン」という言葉から内視鏡で確認することになった。
鼻から入れる細いタイプで思ったより苦痛はなかったが、何枚か撮影された映像を見せられてびっくり。すぐに大きな病院へ行ってくださいということになって紹介状を貰うことになった。
先生は「警察病院か赤十字病院ですね」と仰ったが、「どちらが綺麗ですか?」とつまらない質問をしてしまったことを反省。「赤十字病院の方が新しいですよ」というアドバイスからタクシーで向かった。
赤十字病院の耳鼻咽喉科の窓口へ紹介状を出したのは午前11時頃だったが、広い待合室は満席の状態。患者だけではなく付き添われる人もいるだろうが、100人近い人が座っているのでかなり待つことは覚悟した。
発熱がアップしているようで、意識が朦朧とするような感じもある。朝から何も食べていないから体力低下も著しい。いつの間にか眠ってしまい気が付いたのは午後5時過ぎ。仕事に行く予定で会社に向かっていたので黒い服のまま。さすがに黒ネクタイは外していたが、もう限界という状況に陥っていた。
待合室には私を含めて6人いたが、その時に看護師さんが受け付け横で私の名前を呼んでくれた。しかし立って動ける元気はなく、手で合図すると車椅子でやって来てくれた。
診察室に入ると朝に受けた診察と全く同じで内視鏡で検査されることになり、症状を確認された先生が入院ですと言われ、そのまま10階以上の病室に車椅子で移動した。
何も飲食することが出来ない状態なので点滴の処置が進められたが、体温は39度近くになっており、抗生物質も追加されていた。
その次の日から毎日昼頃に先生が来室されるが、「おかしいですね。原因が分からないのです」と深刻そうな表情で言われるので喉頭ガンか食道ガンを覚悟した。
毎朝採血をしていても分からないのだろうかと思っていたが、血液検査にも様々な範囲が存在しているようで、グローバルな観点から検査をしているという説明もあった。
そんなやりとりの続いた3日間は白い天井を見ながら複雑な心情になっていた。病室に来ている妻との会話の際にも声が擦れ、喋ると痛みを伴うので大変だった。
4日目の昼頃だった。先生が来室。これまでの深刻そうな表情とは違ってにこやかな感じ。「原因が判明しました。栄養失調でした。鉄分不足で午後から亜鉛の入った点滴に変えますので劇的に良くなって来る筈です」と言われて恥ずかしい思い。
こんな時代に「栄養失調」とは人に言えない病気であるが、食事を抜いていたことの結果であったことになる。
その点滴が始まって次の日になると本当に劇的に症状が軽くなり、それから3日後に退院を迎えたのだからびっくり体験だった。
今日の写真はサッカーのシンボルマークである「八咫ガラス」の幡がある熊野本宮神社を。なでしこジャパンの勝利を願って。
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