純和風がこの旅館が大切にしているイメージだが、現在の女将が若女将の時代に先代女将から叩き込まれたことがある。それは旅館の顔が女将であり、それを無言で訴えるのが「花」の存在ということで、玄関、ロビー、廊下、エレベーターホールを始め、各部屋の床の間に置く一輪挿しの花まで厳選するセンスを大切に継承している名美恵だった。
玄関の立派な花瓶に豪華な花が飾られているのに客室に入ったら造花だったという旅館もあるが、そんなところに旅館の経営姿勢が顕著に判断されるので恐ろしく、名美恵自身が活けること任されたのは女将になってから2年後のことだった。
先代女将が高齢になって引退したが、それからしばらくも館内の花の担当をずっと続け、体調不良から入院するまで譲らなかったので、それこそ先代女将の生き甲斐だったと言えるだろう。
それだけに名美恵の花に対する拘りも相当なレベルで、昔から交友のあるフラワーショップに出掛けて自分で選んで来るのが日課となっていた。
各部屋の名称は花の名前で、それぞれ床の間には先代女将が自ら描いた花の絵が掲げられているのだが、流石に絵の才能だけはどうしようもなく、部屋にご挨拶に参上した際に部屋名と額の絵が同じ花と気付かれ、質問をされた時に先代女将の作品であると伝えることにしていた。
夕食時にご挨拶に参上するのも難しい問題があるのも事実で、参上しなかったら「ここは女将の挨拶はないのか」と言われるお客様もあるし、参上したら「プライベートな空間に堅苦しい挨拶に来て」と抵抗感を抱かれるケースもあるからで、そうかと言ってチェックイン時や部屋担当の仲居が「女将の挨拶は?」と確認する訳にも行かず、ずっと悩んでいたが、先代の女将がずっと続けていたことであり、「旅館の顔」「旅館の花」と教えられた言葉を大切にしたいと思う名美恵だった。
そんな中、仲居が事務所にやって来て「花のセンスがよい」と褒めてくださったお客様がおられると嬉しい報告があった。お茶を出す間の会話でそう仰ってくださったそう。
ご挨拶に参上するのを最後の順にして花の会話が出来そうと期待しながら伺ったら、首都圏で調理の専門学校の管理職の方だそうで、一流の料理人は花に対する拘りも強く、自分で選んで活けるのが普通という話をされていた。
名美恵の旅館の料理長も花に対する思いが強く、彼の提案からずっと続けていることがあり、このお客様もそれについて好印象を抱いてくださっていた。
それは「箸置き」のことで、「箸枕」や「箸休め」という別称もあるが、料理長が提案したのは季節の花を用いることで、枝付きの椿や菜の花などを使っていたのである。
この準備をするのも簡単ではなく想像以上のコストを要するが、旅館名そのものが花の名前となっていることもありずっと続けて現在に至っている。
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