女将の京子には腰痛という持病があった。1年に何度か痛みを感じることがあり、そうなるとお客様に「いらっしゃいませ」と頭を下げる所作さえ出来なくなり、お客様の前に顔を出せない状況になるので困っていた。
数日前からまた痛みを感じ始めたが、今回はこれまで体験したことのない激痛があるので寝返りも出来ずに苦しんでいた。
そんなある日、特別な野菜を栽培されていて納品してくれている農家のおじさんが来館。「女将さんに」とお土産を届けてくださったのでお礼をしようと腰に片手を添えて会った。
その姿を目にされたおじさんからは「女将さん、どうされたの?」とすぐに心配の言葉が。事情を説明するとおじさんは過去に体験されたことを教えてくれた。
「もう強烈な痛みで困っていたのです。仕事で前かがみになるから職業病と受け入れていたのですが、隣り町の市場に納品に行った際にどうにもならない状態になり、そこで紹介された整体師さんのところで施術を受けたのですが、何とも言えない柔らかい心地良さで1時間ほどウトウトしていたら気が付けば治っていたのです。それから何度かお世話になっていますが不思議なことに行く時は腰を曲げているのに帰りはまっすぐになって帰るのですからびっくりしますよ」
その話を耳にしてすぐに「紹介してください」と懇願することになった京子だが、旅館から車で20分程度のところなのでその日に予約の電話を入れ、支配人に乗せて貰って施術を受けた。
おじさんが言われた通り何とも言えない心地良さ。特別に強く押さえることもなく、ツボというのだろうか「そこ最高」というように進んで行く。1時間ほど受けると嘘のように治っていた。
「これからの生涯で何度も痛みを感じることは仕方ないでしょう。腰を痛めた過去があるようですね。まあ痛みを感じられたらお越しください」
先生はそんなアドバイスをされて神様のような存在に思えたが、その後何度かその先生のお世話になってその度に感謝していた。
ある日のこと、部屋担当の仲居が夕食の片付けから戻ってお客様が「ギックリ腰」になって動けない状態という報告があった。気になって部屋に参上してお話したら、初めて起きた体験だそうで、症状が出た時の状況は少し離れたところにあったテレビのリモコンを手にされようとした時になったそうで、ちょっとした弾みで腰の神経に問題が発生したようであった。
京子は自分の体験したことを話し、そのお客様がマッサージを要望されたこともあり、一度お世話になっている先生に来ていただけないかと電話をすることにした。
京子にとって先生はまさに「ゴッドハンド」という存在で、先生ならきっと完治が期待出来ると確信していた。
もう診察時間外だったが、京子が「お迎えに参りますから」と懇願したことに先生は恐縮。「これから車でそちらに向かいます」と嬉しい言葉に手を合わせた。
もう一度部屋に参上して先生が来られると伝えると同伴されていた奥様も喜ばれ、「こんなことは初めてでどうなるか不安だし、明日に動けなかったらどうしようと心配だったのです。女将さん、有り難う感謝します」と言われたが、痛みで苦しんでいるご主人の方は布団の上に横になられ、腰を曲げられた状態で「なんでこんなことになったのかさっぱり分からん」と嘆いておられた。
やがて先生が到着され部屋に案内。それから1時間後にまた嘘みたいに一人の激痛患者が救われることになったが、先生は出張料金も受け取らずに治療費だけで帰られたので、またお願いすることがあったらと思った京子は、次の日に先生の所へお礼に参上していた。
そうそう、突然の腰痛に苦しまれたご主人だが、「お蔭で助かったよ。有り難う」とにこやかな表情で手配したタクシーでお帰りになった。
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