小さな温泉地に6軒のホテルと旅館が存在している。最も大きなホテルでも28室しかないが、どこもこじんまりとした佇まいで、雅代が女将をしている旅館も9室しかない小規模なものだった。
歴史が古く名湯として知られているところから常連と呼ぶべきレベルの高齢者のお客さんは多いが、若い人達が少なく、最近の温泉地が企画している若い女性向けの「女子旅」に対しても積極的な対応はなく、旅館組合や地元の行政の観光課も将来の展望に明るいイメージが全くない状況だった。
そんな温泉地がびっくりするほど変貌した、きっかけは雅代がある新聞で記事として採り上げられたからで、その掲載日の各宿泊施設のHPのアクセス数がびっくりするほどアップし、マスメディアの影響の大きさを改めて知ることになった。
雅代は独身である。旅館を経営する両親に一人娘として育てられ、小学生の卒業作文に「看護師さんになりたい」と書いていたことも叶わず、学業を終えると同時に若女将として従事、その後に交通事故で亡くなった母を後継して女将となったのは35歳の時だったが、病弱だった社長の父も数年前に亡くなり、細々と営業を続けていた。
そんな波乱万丈の雅代の人生に興味を抱かれたのが偶々宿泊された4人の男性客。夕食時に部屋に参上してご挨拶をした際に次々に質問を受けて応えていたのがきっかけで、その土産話を聞かれた娘様が興味を抱かれて旅館を訪れ、彼女が担当している女性の人生を採り上げる記事コーナーで採り上げることになったからだった。
女性の若いカメラマンも同行して1泊しての取材となったが、若女将から女将になってからの葛藤や、看護師になりたかった夢の断念も取材社側には格好の記事ネタになったようで、予想外の反響を呼ぶことになったものだった。
雅代の旅館での売り物はそれこそ母親から徹底して教えられたことの実践で、与えられた仕事を天職と考え、ただ只管に一生懸命に従事することだけだが、それがお角様側からすれば演出の感じられない自然の所作として好感を抱かれたみたいで、そんな内容をの記事の中で紹介してくれていたことが雅代は嬉しかった。
雅代の旅館はその記事が掲載されてから予約の電話が殺到し、一気に3ヵ月先まで満室となってしまった。その波及効果はこの温泉地の他の宿泊施設にも及び、歴史ある温泉の効能に美肌が強調されていたことから女性客が殺到した事情があったのだが、関係者は降って湧いたような急変の現実を何かの行動で持続継続になるように会合を重ね、行政の観光課も全面的に協力してくれている。
雅代が生活をしている住居は旅館の裏側にある瀟洒な2階建ての和風に家だが、1階の居間の隣室に和室があり、そこに現代風の仏壇が安置されている。それは何処にでもあるような金襴イメージも紫檀、黒檀など唐風のものではなく。それこそ若いデザイナーが未来仏壇として発想されたもので、元は洋風マンション向けに売り出された物だったが、新聞広告で知った展示会を覗いて決めたもので、初めて法要で迎えた住職が驚かれていたお顔を今でも憶えているが、その前に座って燭台に火を灯し、ご本尊、先祖、両親に今回の顛末を説明しながら手を合わす雅代だった。
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