先代女将が2年前に亡くなってから女将を後継した毅子だが、随分前から社長である義父の介護を担当している。
数年前に脳梗塞から半身不随になってから日々の生活に介助が必要となったが、献身的な毅子の姿に夫が感謝してくれているし、スタッフ達も女将の優しさの滲み出る人柄に感心していた。
そんな社長を伴って週に一度は外食に出掛けるが、今日の昼食は社長の好物である鰻料理店へ行った。
何度か行っているので顔馴染みだが、初めて見る新しい女性スタッフが対応してくれた。「うな重を二つ。それと吸い物は一つで玉赤を一つ」と注文。「玉赤」とは赤出汁の中に玉子が入ったもので、社長の大好物だった。
食前に服用しなければならない社長の薬を袋から取り出してテーブルの上に並べていたら「これ、お薬のお水ですと」すぐに持って来てくれた。
気配りの出来るスタッフだと感心していたら、しばらくするとオーダーしたものが運ばれて来て、社長の玉赤の椀の蓋を開けてくれ、割り箸を割ってくれたと思ったら、そのまま厨房へ行ってスプーンを持って来てくれた。
彼女は社長が不自由な身体であることを知ったのは今日が初めての筈だが、入り口から介添えされながら入店する光景でしっかりと把握していたみたいで、さりげなく視線を送って見守ってくれている対応に嬉しくなった毅子だが、自分の旅館にスカウトしたいと思ったぐらいで、支払時に興味を抱いて質問してみたら、この店の娘さんで、大学を卒業後に東京のホテルに就職後、お父さんの体調不良から実家に戻って手伝っていることを知った。
毅子はある飲食店で出会った素晴らしいスタッフを自分の旅館で働かないかと誘ったこともあった。その女性は40歳ぐらいだったが品のある所作と風貌に惚れてしまい、絶対に迎えたいと手を尽くし、近所の方から情報を入手、彼女の自宅へ参上してご主人にもお願いしたのだが、義理のお母さんの介護ということから残念にも断念することになってしまった。
人材を「人<財>」に育て上げるのは簡単ではない。本人に「そうなりたい」という憧れがなければ成長が難しいし、憧れる人物との出会いがなければ不幸だが、世の中は広いもので素晴らしい人がいっぱいいる。それが素晴らしいと思う「感性」こそが重要と言うことになるだろう。
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