久美子が女将として仕事をしている旅館は大規模な施設で、部屋数からもホテルというべきものだった。
そんな存在感でも知られる旅館が法律の改正によってどうするかという岐路に立たされていた。
耐震問題から設備投資をしなければならない建物があり、銀行や建設会社を交えて何度も会議を重ね、高層部分の上部を解体する工事が最も設備資金が抑えられることが判明。年始から春を迎えるまでに工事を行うことが決まった。
この工事は本館だけのものなので別館や新館では営業が可能だが、フロントを新しく設置しなければならないところからその工事だけを早急に進めることになった。
東京から新幹線を利用すれば在来線に乗り継いで3時間弱で来られる立地だが、歴史ある温泉地として知られ、多くの観光客で賑わうことからもかなり人気の高い観光地であった。
ある時、久美子の学生時代の友人が家族連れで利用してくれることになった。彼女の夫は一流ホテルに勤務しているところから久美子も神経を遣って対応しようと考えていたが、夕食が終わってからラウンジで交わした話の中に考えもしなかった問題を指摘され、本館工事が完成してから大きな意識改革をしなければと覚悟することになった。
彼女の夫がさりげなく「ちょっと気になるのが」と言ったのが「区別」「と「差別」という問題で、クルーズ船ではないのだからという指摘でもあった。
この旅館では新館と別館が完成した時にそれぞれの格付けをして料金を設定。それは浴衣、帯、スリッパで見分けられるようにしているのだが、大浴場、喫茶コーナー、夜食の居酒屋店、土産物店は各館から合流することになる事実があり、そこで「優越感」はよいが「劣等感」や「屈辱感」は避けるべきという考え方だった。
自分だけは特別なサービス対応を受けているというのは確かに優越感につながり、人はそれに対する代価を納得して支払うこともあるが、逆に感じているお客様が存在することを考えれば平等に是正するべきだろう。
クルーズ船なら上級クラスには専用フロアや専用レストランの存在もあるし、国際線の飛行機ならファーストクラス、ビジネスクラス、プレミアムエコノミークラス、エコノミークラスと設定されているが、その選択は客側の自由で高額な設備料やサービス料を納得の上支払って利用するが、それは乗客の全てが納得している事実があるが、ホテルや旅館の館内空間でそれらを現実化させることはタブーであるという説明もあった。
この夫婦が過去に利用した観光旅館で気分を害した出来事があり、その時の体験談を教えられたが、それも同じような問題であった。
夕食の会場で各テーブルの上に部屋番号と名前が書かれた案内があるが、隣りのテーブルの料理と異なっていることが一目瞭然ということに抵抗感を覚えたというものだが、食物アレルギーやベジタリアンという事情があったとしても、料理の内容が異なるなら互いが見えないように配慮するべきというものだった。
彼の指摘はホテルマンのベテランというものもあった。それはフロント横の机に置かれているノートの存在で、誰でも書き込みが出来る「思い出帳」となっていたが、そこに書き込んだ人の個人情報について考えるべきというもので、それは久美子も全く考えていなかったことである。
何も気付かずに今日までやって来ていた。よくぞ彼女夫婦が来館してくれたものだと感謝しながら、本館工事の合間に様々な改革に取り組もうと思った出来事になった。
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