車を運転する。道路の中央にあるセンターラインを挟んで対向車とすれ違う。それらは地方の高速道路も例外ではなく、一部の区間ではセンターにゴム製のポールが並んでいるだけというのも少なくない。
トンネルの中でのすれ違い、前方からライトが近づいて来る。そんな光景は、誰もが数え切れないほど体験している日常的なものだが、ここに「信頼の原則」という互いの暗黙の了解があって成り立つ社会常識が存在していると考えたことがあるだろうか。
もし、対向車を運転される人が心疾患や脳疾患で意識を失われたらどうなるのだろうか。それだけではない。飲酒運転や覚せい剤常習から錯乱状態に陥っている人がいるのも事実で、そんな人達が巻き起こす事故に遭遇しなかったから今日に存在すると言えるだろう。
もっと広く考えてみたら、大雨、地震など自然の巻き起こす災害もそうだろう。土砂崩れやトンネル崩壊に巻き込まれるのは秒単位で生死を分ける事実もあり恐ろしいものだが、今日ある者は、まさに幸運であったと言えるのである。
毎日、事故のニュース報道が多い。踏切での列車と車の事故も少なくないが、在来線を走る特急列車の運転席が高いところに設計されたボンネット型が増えているのもそんな背景があるからで、運転士の命を守ることも基本的な原則の一つと理解したい。
パスポートを手にして海外旅行に行くと、相手国入国時に提出する書類の中に「宗教」という項目があるが、我々日本人は、本当の意味での宗教観は希薄してきており、それらはどんどん低下する傾向だが、そんな中で若者達がカルト的な宗教に巻き込まれるケースが増えているようだ。
国内に存在する宗教団体に対する「信者数」の確認を総合すると、それらは国民の総数をはるかにオーバーするのだからいい加減なものだが、神道や仏教全体からすると数百年、あるいは2千年という歴史を歩んできたことは凄い事実であり、それらが近い将来に消滅するとは考えられないのも確かである。
憲法で定められた宗教の自由だが、「仏教です」と答えても「何宗か知らない」なんて頼りないことを言われる人も多く、新聞記事の見出しにあった「檀家であるが信者じゃない」という衝撃的な言葉が生まれて来るのである。
世界には不幸な人達の存在がいっぱいある。今でも戦火に虐げられている民衆もあるし、情報さえ与えない愚かな独裁者に支配される国民もいるのも事実。なのに宗教を因として争いになるとは理解し難いものだが、過去の歴史からすると、地球上の戦争の大半は宗教絡みとなるので悲しいことだ。
戦時中の社会に「今こそ宗教が」と登場するし、平和な社会になったら「今こそ宗教を」と活発になるのだから不思議なこと。一部の信者達や国内だけではなく、今や地球全体から想像のつかない宇宙観まで心を開き、真の「人」のあるべき姿を問わなければならないだろう。
そんな中、ある人物の宗教に対する考え方を知って学ぶことになった。「夜寝る前にね、今日は一日有り難うございました。ちょっと悪いことをしてしまい反省しております。明日があれば致しませんからお許しを。朝ね、目が覚めたらね、今日も目覚めさせていただき有り難うございました。悪いことをせずに、人の役に立つ一日を過ごしますから」と手を合わすそうだが、その対象となる神仏は「別になし」と言うのだから凄いではないか。
その人物の姿勢を客観的に分析すれば、それは感謝型信仰というものであり、一部の仏教の理想とする世界観でもある。
国内に現存する宗教の本部や本山は、それこそ聖域というような環境の中に存在するが、それは長い月日の流れを費やし、神変された「証」として輝いているのかもしれない。
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どこの家にも卓上計算機があるし、世の中はコンピューターの時代。団塊世代が小学生の頃、多くの小学生が競うように「そろばん教室」に通っていたそうだ。
今でも「珠算教室」があるし、全日本大会などが開催され、暗算技術の凄さに驚嘆させられるが、一つのことを習得する際に意外なことを学ぶこともある。
珠算教室で教えられたことで伝票計算というのがあったが、先生が面白い問題を出して問い掛けてきた。それは、答えを書くための「鉛筆」についてだが、「始め」まで机の上に置いておく時、ペン先を手前にするか前方を向けるべきかということで、正解は手前に向けておくだった。
それだけで「0.何秒」かの時間差異が生じるそうで、「級」から「段」の世界に進むには、そんなことまで考慮するべきと言われたことが印象に残っている。
競争社会と言われる現在の世の中、「お受験」なんて寂しい響きの言葉も飛び交っているが、塾ビジネスに振り回される親も気の毒なら子供が哀れでならない思いがするこの頃ではないか。
昔、高レベルな学校を目指す塾に対抗し、逆転の発想をして大成功となった塾の存在があった。それは、一流校へ行けるのはほんの数パーセントの子供達。それ以外の子供達をターゲットにする方が生徒が集まり易いという発想で、それが見事に的中し、長らく栄華のビジネス展開をしていた歴史がある。
超一流校では、同級生が風邪で休んだら「これで敵が遅れる」なんて考える恐ろしい生徒もいたそうだが、そんな子供達が一流大学を卒業して官僚になったら大変ではないか。ああ恐ろしき世の中だ。
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