「かめかむか」さんの高質な内容が連日に更新されており、毎日楽しみに訪問しているのですが、少し低次元で恐縮ながら、前からずっと疑問に思っていたことを書かせていただきますので皆様もお考えくだされば幸いです。
毎年12月になると忠臣蔵として有名な赤穂浪士の討ち入りドラマや映画が放映されるが、悪者になっている吉良氏が国元では名君として崇められていた事実も有名な話である。
そんな忠臣蔵の大事件が起きたのは元禄時代の12月14日となっているが、これに異論を唱える説得力のある問題提起を読んだことがあり、悩みの種になってしまった訳である。
それは、旧暦と新暦とに生じて来る問題で、新暦が用いられるようになったのは明治5年12月2日の次の日を明治6年1月1日にしたこともあり、それまでの12月14日は旧暦なので1月30日になると言うのである。
もしも午前0時を回ってからの討ち入りとなれば1月31日が正しくなるだろうし、こんなことを考えると暗記した昔の歴史が大きく変化を来たすことにもなり、日本史の試験問題の解答はどうなるのだろうかと悩んでしまう。
昔から「こうなんだ」という考え方の背景に秘められたちょっとした「?」の興味を抱くが、考えれば考えるほど混乱するので困っている。
士農工商が存在していた時代、武士の庶民に対する「斬り捨て御免」という信じられない制度だが、ある本を読んでいたら知らなかったことが解説されていた。「斬り捨て御免」で刀を一度抜いたら、斬らなかったら切腹の処分という厳しい法度があったそうだ。
また、大名行列に土下座する庶民の姿を時代劇の映画やドラマで見るが、仕事をそのまま続けていてもよい職業があったことも初めて知った。それは「左官」というもので、壁塗りなどを途中で止めると大変なことになる危険性が高く、特別に続行を許されていたそうである。
昔、筆者の人生に大きな影響を与えてくださった人物から「拳拳服膺」という言葉を教えて貰ったことがあったが、それは「謹んで常に忘れず、心を尽くして守り行うことだが、物事を中途半端で知ることの恐ろしさを考え、そこに至ったプロセスを知る重要性を学ばせていただいたと記憶している。
野田総理が消費税増税に関して「乾坤一擲」という言葉を使用していたが、その意味は誰もが知る「運命をかけた大勝負」となるが、政治生命をかけるのはご自由だが、国民の大切な将来を「賭け」という言葉で表現されるのには抵抗感を抱いてしまう。
上述の「拳拳服膺」を言葉として使用する場合「師の教えを拳拳服膺する」というのもあるが、総理の過去からすると松下政経塾ということから「松下幸之助」氏の存在を忘れてはならないし、氏がそんな行動を望んでおられたとはとても信じられないと考えてしまう。
「乾坤」の意味には「天地」や「宇宙」の他に方角と干支の表すものもあり、「乾」とは「戌亥」で北西を指し、「坤」は「未申」で南西を指している。
昔、落語を聞いていると枕で「東西、東西」という言葉の意味について笑わせてくれた。残りは「南北」で「南に北」つまり、「皆、観に来た」と言っていたからだ。
原発一連に関しても野田総理の姿勢には「狷介(けんかい)」という言葉を感じてしまう。その意味は「自己を守って人と強調しないこと」や「片意地」とされるが、将来を大きく左右させる重大な局面を迎えているのは確かで、「私の責任で」と軽々しく発言して欲しくないものである。
総理就任会見で、ご自分を「どじょう」と比喩されたことを憶えているが、今や「瓢箪が鯰を押さえられないこと」から生まれた「瓢箪鯰」という言葉が浮かんで来る。
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喫茶店で会った馴染みの人物が「しんどうの葬式に行って来た」というので、ひょっとして「しんとうでは?」と聞き返すと怪訝な顔をされたが、確認してみるとやはり「神道(しんとう)」のことであった。
辞書を知らべても「しんどう」では出ていない。文字から多くの人が「しんどう」と以外に誤解されているが「しんとう」であることを知っておきたいものである。
ある老舗の店で買い物をしたら、天井の片隅に祀られた神棚が目に留まったが、「剣」と「鏡」が左右逆に置かれているので柔らかく指摘したら、「右剣左鏡なのだからこれでいいのでは?」と反論された。
お祀りされている側から「右剣左鏡ですよ」と返したら、「嘘!向かってじゃないの!」と驚かれた。
これでは説得力に欠け、納得には至らないだろうと考え、やがて例を挙げて説明する運びとなった。
「京都御所の紫宸殿に有名な『右近の橘』『左近の桜』の存在がありますが、それらも向かってではなく中の方からご覧になられてということになっているのです」
「また、平安神宮にも大権殿に模して建立された外拝殿にそれらがあり、全く同じになっていますし、分かり易いところでは『お雛様』を飾る際にも同じ問題が出て来ます」
ここまで言うと、「えらく詳しいですな」と何者?みたいな疑問を抱かれたようなので、とどめ?となる比喩を持ち出して結んでおいた。
平安京、平城京には朱雀大路と呼ばれる道が南北に抜けており、平安京の方では現在の千本通りがそれにあたります。大路の東側を左京と呼び、西側を右京と読んだことからもご理解されるでしょうが、全ては対象物側から見られた立地でそうなっているのです」
お店のご夫婦が感心しながら耳を傾けてくださったが、お礼だと言って、お店で販売されている高級な果物をいただいたので恐縮したが、その後のご夫婦の会話が面白かった。
「何か変だったのよ。最近、お客さん少ないでしょう?神さんの祀り方を間違っていたら繁盛することなんてないわよ。この人のお陰で正しくなったから、きっと忙しくなると期待しようよ」
そんなやりとりを聞き、繁盛しますようにと笑いながら頭を下げ、予期もしなかったお土産を手に店舗を離れた筆者だった。
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