男子プロゴルフで上井選手がアルバトロスを記録した。「パー5のホールでセカンドショットがカップインしたという100万分の一の確率と言われるもの。同じ日に、女子プロゴルフでは佐伯選手がホールインワンを達成したニュースもあった。
所属していたライオンズクラブにハンディキャップ「0」というメンバーがいた。彼は7回もホールインワンを記録し、その内5回が月例などの公式競技で、その安定したショットはプロも驚くレベルであった。
その彼が7回目のホールインワンを記録した記念パーティーで面白いことを知った。ゴルフ保険というのがあり、これはプレー中の他人への傷害事故やクラブの損傷に対する保障、そしてホールインワンパーティーや記念品購入費用などを50万円程度援助してくれるものだが、彼が加入していた保険会社の人物が出席しており、スピーチの中で「我々保険会社ではホールインワンは事故の発生であり、**さんは我々泣かせの際たる人物です」と発言して会場が盛り上がった。
ゴルフを始めてから30年間もゴルフ保険に加入していた私だが、ホールインワンを達成したことは一度もなく、同伴競技者が記録したことを目撃しただけである。
その同伴競技者だが、30名ぐらいが参加したコンペで記録したところから盛り上がり、保険を使って盛大なパーティーをと進んだのだが、その時に提案して手作りした寄せ書きを絶賛してくれ、出席者からこれが欲しいからホールインワンをやりたいと言われた思い出がある。
ゴルフをされる方なら常識だが、ホールインワン保険には条件があり、キャディーさんを伴い、その証明がなかったら保険金の請求が出来ない契約なので、キャディーさんのいないセルフプレーでは残念ながらとなっている。
昔に利用したことのある列車が運転されなくなくなってしまうことは寂しいことである。記憶の中には、青春時代に乗った「わかば」のような修学旅専用列車もあるが、友人達と出掛けた旅、夫婦あるいは家族で利用した思い出の列車が、JRのダイヤ改正で変更されて次々に消えてしまうのは複雑な思いが生まれる。
遠い時代、「特急こだま」が大阪と東京間を6時間50分で結び、日帰り可能から「ビジネス特急」という愛称で呼ばれたが、それまでの「特急はと」や「特急つばめ」は7時間半を要していたので一気に40分の短縮となって話題を呼んだ。
当時の急行には「なにわ」「六甲」「よど」「せっつ「やましろ」「いこま」などがあったが、大阪の湊町から奈良を通る関西線経由で名古屋から東京に向かう「大和」も走っていた。
東京と名古屋間には「準急東海」があったし、大阪と名古屋間には「準急比叡」「準急伊吹」もあった。
また、大阪、神戸と東京を結ぶ寝台急行列車として「明星」「月光」「銀河」「金星」「彗星」が存在し、「第二なにわ」が「すばる」に「第二六甲」が「あかつき」に名称変更された歴史もある。
1967年から5年間だが、大阪から宮崎までの全車両一等という新婚旅行専用と言われた「急行ことぶき」も運転され、大安の日の大阪駅での見送りの光景がニュースで流れていたのを覚えているし、知人にそれで新婚旅行に行った人もいる。
昔の在来線の列車で情緒があったのは食堂車の存在。新幹線ではそうでもないが、前にも書いたように、在来線の食堂車でビールを注ぎ合うのは横揺れから至難の業。自分でやるのが「通」の行動だった。
青春時代、知り合った集団就職で来阪された人達がお盆や年末の帰省で切符を入手するのは大変な労苦。大阪駅の西口と東に臨時に開設された通称テント村で長蛇の列に並び、九州方面へ発駅着席券を手に入れるために長時間並ぶ光景が見られた。
東京まで「のぞみ」で2時間半の時代。鉄道は移動の手段の一つだが、昔の時代を体験した人達には、時間を要しても情緒や風情を楽しみたいという思いもあるようだ。
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ミュージシャンの桑名正博さんがご逝去された。様々な分野でご活躍された方で、まだまだこれから期待される人物だっただけに惜しまれ、その思い出に手を合わす。
数日前、北海道、名古屋、九州の仲間達が来阪。私が社長から会長の役職になったからで、「お疲れさん会」の食事会を開いてくれたのだが、この企画をしてくれたのは桑名正弘さんと交流のあった人物だった。
ある時二人でミナミヘ食事に行った際、目的の割烹のある雑居ビルの前で偶然に会ったのが桑名さん。不思議なことに同じエレベーターに乗って、同じ階で降り、同じ店で臨席同士で2時間ほど過ごし、彼と交わしていた会話が印象に残っている。
さて、「かめかむか」さんがタケモトピアノのCMに触れられていたが、これを企画して立ち上げたのは上述に書いた人物で、彼は大手引越し会社や防虫剤などのテレビCMにも携わっているその世界で知られる存在である。
タケモトピアノのCMが話題になったのは、関西の人気番組「探偵ナイトスクープ」に採り上げられ、「赤ちゃんが泣き止むという噂は本当でしょうか?」という特集だったが、番組まで仕掛ける企画力は凄いと思った。
テレビ番組の宣伝を行うのを「番宣」とも言うが、彼は昔そんな仕事でも能力を発揮、その存在はテレビや業界関係でかなり著名な人物でもある。
ある、仲間達とミナミで食事をすることになり彼に電話を掛けて誘ったら、「ちょっとアイデアが浮かばずに苦戦中です。浮かんだら行きますから」と言うので期待をせずにいたら、それから1時間後ぐらいにやって来て、「完成しました」とその作品を見せてくれたのだが、それを見た全員が驚いた出来栄えだった。
彼が取り組んでいたのは、あるテーマパークのキャンペーンポスターで、JRの駅のホームに掲示されるものだった。季節は秋、山の紅葉をモチーフにしてキリンを描き、動物達が「来てください」と語り掛けるのような作品。それが何かの広告賞に輝いたことを後で知ったが、彼の発想力は誰もが考える世界とは異質のレベルにあり、外国のホテルなどの企業の総合クリエーターとしても活躍している。
そんな彼とは忘れられない出来事がある。筆者の本業の世界で「なかったら自分で作れ」と取り組んだのが葬儀の世界で使用出来るオリジナル音楽の創作。筆者がシナリオを描き、それを一緒に仕事をしていた天才的な音楽家に作曲を依頼、シンセサイザーで何回も重ねて様々なアレンジで進み、やっと完成してCDのジャケットを打ち合わせていた時に偶然に来社したのが彼だった。
「何をやっているんですか?面白そうですね」から始まった三者会談。すぐにこんなことはプロに依頼するのが得策と判断。破格の制作費用で請け負って貰ったが、全曲を収録したマスターテープを持ち帰って聴いてくれたそうで恐縮した。
数日後、彼がやって来た。机の上に出されたCDに完成したジャケットがすでに入っている。タイトルは「慈曲」と命名され、その文字バージョンの縦型と横型」の二枚を並べ、次のようにプレゼンされた。
「全曲を聴かせて貰いました。かなり完成度が高いと感じました。そこで浮かんだタイトルが『慈曲』で、縦型に入れたら演歌のイメージになりますから横型がよいと思います」
そんな事情で世に出たCDだが、その発表後に話題になり、当時にあったテレビ番組「宗教の時間」で採り上げられたのだからびっくりした。
この「宗教の時間」という番組は、読売系列で誰もが知られる「正力松太郎」氏の遺言で長い間継続放送されていたもの。娯楽とニュースだけのテレビ業界だが、大切なことを伝える文化もテレビの重要な役割だ。民法にも一つぐらいCMが一切ない番組があってもよいじゃないかという哲学だったそうである。
正直に申し上げると、音楽家に依頼したのは9曲で、10曲目の「逝かれし人へ」という曲は筆者の作曲。音楽家と彼の「入れるべき」という言葉に甘えたのだが、その後、この曲が双子の姉妹で知られる「きんさん、ぎんさん」のご葬儀でご出棺時に使用されていた事実がある。
その後「慈曲葬」という商標登録まで進展。発表時に行ったシミュレーション葬儀を体感された新聞社の方に感動のお言葉を頂戴し、大手新聞の一面のカラー記事に採り上げられられる出来事に至った。
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