旅館のリニューアルに際して、女将夫婦はこの分野で知られるコンサルタントを迎えて3時間ほど話し合った。
その人物が来館したのは午後0時半、用意してあった昼食をラウンジで出して世間話をしながら、本題に入ったのは応接室に入ってから。女将夫婦が初めて耳にするような話があって驚くことになった。
「どんなホテルや旅館でも、ご利用されたお客様が勝手に判断されるのはコストパフォーマンスで、設定される料金やHPで勝手に想像されるイメージも含めて考えなければなりません」
「例えばそのフロアだけ別格な存在として売り出すなら、利用されるお客様には廊下で顔を合わされる他のお客様の存在も重要で、お客様達が漂わせるイメージの品もコスパの対象で、そこに相応しくないお客様を迎えないような対応も重要なのです」
「一流ホテルの和食の天ぷらコーナーに入りますと、『本日の食材でございます』と並べて見せてくれるところもありますし、特別なステーキを売り物にしている鉄板コーナーでは肉の大きな塊を注文前に見せ、『どの辺りをどのくらい』と驚かせるパフォーマンスもありますが、お客様は『さすがに高いだけはある』なんて勝手に納得してしまう仕掛けなのです」
「昔の航空会社のファーストクラスで行われていたサービス対応ですが、お客様が注文したワインの封を開けて注ぐとすぐにボトルをワゴンのケースに納めてしまい、別のお客様が同じ物を注文されたらまた新しい物を取り出して封を切ってグラスに注ぐというパフォーマンスもありました」
「人を差別や区別することはいけないことですが、サービスの世界では自分だけが特別なサービスを受けていることを実感するはっきりとした区別を感じさせることも重要なことで、航空機のクラスの異なりやクルーズ船の客室によってレストランを変えている対応もその顕著な例で、お客様側も高額な料金を出しているのだからと両者が納得している常識の世界もあるのです」
「クルーズ船の上級ルームのお客様や、航空機内でファーストクラスのお客様には『**様』とお名前で対応することも普通ですが、旅館でも少なくともご夫婦などお2人で来られているお客様には担当者がお名前情報を把握しておき、廊下で擦れ違った時に『**様、お風呂に行かれるのですか』とお声を掛けることが望ましいですね」
「最寄駅からお客様を乗せて来てくれるタクシーの運転手さんへの配慮も大切ですね。お客様が1万円札を出してお釣りで困るケースもある筈です。玄関担当のスタッフの方が瞬時に両替出来ればお客様も運転手の方も喜ばれる筈です」
「玄関に到着したタクシーの支払い時に、例えばご主人が『貴美子、支払ってくれよ』という会話が耳に入ったら、そのお方のお名前情報が入手出来るのです。ご夫婦ならフロントやお食事処で『奥様』と『貴美子様』と使い分けることが出来れば面白いですね」
女将夫婦がそんな話を聞きながらサービスの奥深い世界を再認識することになったが、また新たな課題を幾つも発見することになった日でもあった。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「小説 女将、サービスの区別を学ぶ」へのコメントを投稿してください。