利都子が女将をしている旅館には34才の男性スタッフがいるが、彼は若い頃から阪神タイガースのファンで、誰からも「トラキチ」と認められている。
この「トラキチ」という言葉は蔑称されているような言葉ではなく、1985年の流行語大賞の銀賞になったこともあり、本人が自身を「トラキチ」と呼称していることも多い。
彼は小学生になった男の子を連れて何度も球場に出掛けて応援しており、試合のある日を予定して前以って休暇願いが出されることもあるほどで、スタッフ仲間もそれについては温かく対応していた。
そんな彼が事務所で真摯な態度で若い女性スタッフの話を聞いている。それは伊勢志摩サミットの話題から発展したことで、その女性スタッフが伊勢の高校から関西の大学に進学して先月から入社していたのだが、阪神タイガースの猛烈なファンである彼に地元で知られる話を教えていたのである。
「私の実家は近鉄の宇治山田駅の近くにあり、伊勢神宮の内宮や外宮も歩いて行けるぐらいで、駅から歩いて20分ぐらいの所に倉田山公園野球場がありましてね、そこに元巨人の沢村栄治選手と元阪神の西村幸生選手の銅像があるのです」
トラキチなのに「西村選手」のことを全く知らなかった彼だが、巨人の沢村投手のことは「沢村賞」があるところから知っていた。そして地元の人達なら誰もが知っているという逸話に興味を抱いて彼女に「教えて欲しい」と頼んでいた
「剛速球で有名だった沢村投手は1944年の10月に3度目の徴兵で出征され、その2か月後に戦死されているのだけど、同じ頃に阪神で活躍されていた西村投手も素晴らしい選手だったのに、沢村投手の戦死から半年後に後を追うように戦死されているのですが、今度伊勢神宮に参拝されたら、外宮さんの前にうなぎ料理の店がありますから是非行ってください。そこが西村選手のご実家ですから」
その店舗名は「喜多や」だそうだが、彼女の話によると2014年の3月10日に倉田山公園野球場で巨人対阪神のオープン戦が行われた際、巨人は沢村選手の背番号だった「14を。阪神は西村選手の背番号だった「19」を全員が付けて試合に臨んだエピソードも教えてくれ、その時に「喜多や」の方が始球式に招待されたそうである。
宇治山田駅は伊勢神宮の最寄り駅で皇室や要人の参拝もあるところから、2階に貴賓室が設けられていることも有名で、駅舎の設計を担当したのは東武鉄道の浅草駅や南海電鉄の難波駅のある南海ビルディングと同じ「久野節氏」で、高い評価を受けている歴的建造物となっているそうだ。
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