早いもので、イタリアでの生活も二十二年が過ぎようとしている。
幸せなことに 年に一度、日本へお里帰りができる。
この歳になっても両親が元気でいてくれるからである。
自分を迎え入れてくれる「実家」が存在するということの「ありがたさ。」
両親には 感謝をしてもし切れない思いで一杯である。
八十を過ぎた両親には 両親の生活がある。
起床・寝床時間、食事の時間、食事の内容、買い物や病院への通院、仕事や趣味関係等の外出など、二人だけのリズムでのライフ・スタイルというものがある。
私は この両親のライフ・スタイルをなるべく乱さないようにと心を配る。
私が三週間余り、帰ることによって、両親に余計なストレスを与えてはならないのだと思う。
娘と言えど、あくまでも両親の生活を尊重することを忘れてはいけない。
その上で、私に出来る事を手伝わせて頂くという形を取る。
そして、両親からのリクエストにもお答えしつつ、一緒に生活をする。
その中で、両親から吸収できそうな事を一生懸命に吸収してしまおうと思う。
これが 私の日本へのお里帰りである。
昨年、両親は高齢にもかかわらず、道路拡張計画に合った事もあり、思い切って、長年住み慣れた大きな家を処分した。そして、街中に、二人用の小さな家を新築した。
しかし、その後のストレスは 今も続いている。
高齢になってからの環境の変化の影響は 可なり大きかったと言える。
それでも、二人で、強く生きていてくれる。
その姿は 娘の私に、どんなにか生きるエネルギーを与えてくれることか。
今年は両親から、どんな発見があるかと思うと、独りでに微笑まずにはいられない。改めて、日本へのお里帰りが楽しみでならないと思う。
その一方で、一人残されるイタリア人の夫は私の日本行きが、一ヶ月先にもなると、イライラし始める。
今、私は夫のために 二十六日分の食事作りに奮闘中である。
冷凍庫は ほとんど満杯状態・・・。これも毎年恒例の事になる。
私にとって、日本行きの機上は イタリアでもなく・日本でもなく・・・・
唯一、心の底からリラックス出来る時間と空間と言える。
実は 今日、夫の決意を聞いて、ホッと肩の荷が軽くなったような気がしました。「トミイの不在時をマイナスの精神で受け止めるのではなく、一定の熟考
期間にと努めることにしたよ。次のステップへと、プラスの精神に持っていけるようにね。」と。ブラボー! ! !
結婚十九年にして、やっと、夫も理解してくれたようだ。
これで、一番大変な出発事前準備も 既に完了したようなもの! !
一昨日、日本の父に電話をして、到着時間を知らせた。
「十四時四十五分だね。車で迎えに行っているから。気をつけて来て下さい。」と。電話の向こうの声は 何時もより、確かに弾んでいた。
八十四歳になる父が自ら車を運転して迎えに来てくれるという・・・・・
「お父さん、元気でいてくれるから、ほんとうに助かります!」と私の声も弾んだ。
現在のイタリア経済危機状態の中においても、お国柄、バカンスは まだ存在する。確かにバカンスどころではない国民層が厚くなったことは言うまでもないのが現状ではあるが。
夏休暇を利用して、田舎や海の親類を訪ねたり、他の街の友人宅を訪ねたり、子供たちだけをバカンス村へ送ったりと・・・それぞれの経済状況のなかで、それぞれにバカンスのために工夫を凝らす。
近年は 若い層も、平均をすると3~4日のバカンスという短さになって来ているようだ。何とも致し方のないことである。
さて、私事となると・・・
やはり、ここ数年は バカンスに投資をすることに対して、疑問を持ち始めた。気がつけば、「バカンスのご予定がないのなら、家の海の別荘へ是非いらして下さい。」という、何とも幸運な・何ともありがたいお招きを毎年のように受け続けている。充分に恐縮をしながらも、NO.とはお断りできずに、お言葉に甘んじているという幸せ。
恵まれた友人によっては 海岸の絶壁上に、先代からの別荘が建ち、深さ4Mの海水プールまで備えている。その上、海面へも直接入れるようにと、別荘から、トロッコで海面まで降りることもできる。すべてが、プライベートである。おまけにコックまで、ローマから連れてきているという・・・・
率直に、バカンスを共有するということは どういうことか?というと。
それは 人間の生活には欠かすことのできない「食生活」を共にするということが中心になる。
得意料理を披露し合ったり、港まで買い出しに出たり、それぞれの食習慣がバラエティーに飛び交う。我われのように五十代・六十代になると、身体にケアが必要となる年代に入って来たため、ダイエット中という場合も多々・・・
今夏の海の別荘でのヒット料理は 別荘内の菜園で採れるトマト料理だった。トマトをベースにした、ありとあらゆるサラダ、オーブン焼き、パスタ、スープは冷たく冷やしても・温めても美味だった・・・
最究極を求めた後はシンプルにたどり着くと言う様に、食も年齢と共に、シンプルを好むようになることを隠せない。
気がつけば、バカンスを共有できる友人たちも、実に、シンプルと言える。
時として、会話がない瞬時でも、お互いに目と目が合えば、ニッコリと微笑み合える。そういう仲である。二週間もの間、一日中一緒にいれるということは、そういうことになる。
肌が数秒間の間に焼きつく太陽の光りの下では、その人の持つ真の姿が浮き彫りになる。どんなに巧みな言葉で語り尽くそうが、どんなに外見を飾ろうが、すべては無駄他だということに気づかされる。
その無駄をを捨てきれた時に、人は悟りを啓けたといえるのではないだろうか。
水平線を見渡せるテラスで、友人夫妻と我われ夫婦で、何も言わずに肩を組合って、見続けた終日の夕日は忘れる事ができない。
我われは現状を前進させるための英気を与えられて、バカンスから戻って来た。
今日も、オレンジ色の夕日が鮮明に脳裏に蘇る。
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