クラシックのレッスンも ほとんど後半に差し掛かっていた。
空中で、両足を交差させる飛躍のサンジュマンの最中の事だった。
突然、左足の脹脛をナイフで突かれたような感覚を覚え、そのまま床に倒れ込んだ。
四月の中旬、あの日のローマの気温は 一気に二十度を上まり、この上なく暑かった・・・・・
通常のレッスンに加え、六月の舞台に向けてのレッスンが始まったばかりでもあった。
私の足の筋肉が疲れていたことは 確かに認める。
日本語で言うと「肉離れ」を起こしてしまった。
医者からは 「全治九十日間」の宣告を受けた。
無論、六月の舞台は不可能ということ。
怪我の当初は 痛みなど問題ではなかった。
問題は この現実を受け入れることのできない自分自身にあった・・・・
予定されていた舞台では 中心的な役を引き受け、可なりの責任感も感じていたところであった。衣装も 既にオーダー済み・・・・・
いたし方がないことである。
それでも、慌てふためいている私に、呆れたイタリア人の夫は こう言った。
「不運だった。と思え。」
「それ以上も それ未満もないのだ。」
「この怪我は 必ず完治するのだし、この先も、踊りは続けていくのだし、
何をそんなに急くのか ! 」と。
夫の言う通りである。
怪我の直前まで、そうであったように、自分を信じて、諦めずに、自分自身と挑戦し続けてきたことを思い起こした。
大切なのは これからも、その過程にいることだと自分に言い聞かせた。
何時も一緒のクラスで、クラシックの練習を積んでいるカロリーナも
私を励ましてくれた。(彼女はタンゴのダンサー/教師)
「ダンサーの生活なんて、挫折の繰り返しだから。」
「大いに悩む時は悩む。苦しむ時は苦しんでいいのよ。でもね、そこに浸り過ぎては駄目よ! 」
「踊りには 隠しても、その人のすべてが出てしまうのよ ! 」
そして、どんな挫折に合っても、そこまでに至った自分の努力の過程にこそ
価値があることを忘れてはならないということを気づかせてくれた。
数日前のこと、ショパンの曲を久しぶりに聞いていた時、思い出した事がある。
ショパンはポーランド出身。同じ時期に、ドイツのシューマンも音楽家として活躍していた。
ショパンは音楽家として、人々から、こよなく愛され・認められたという実に恵まれた生涯を送った。
それではシューマンはというと、世間からの受け止め方は 大きく違った。
時には 世間の中傷を耳にしながらも、芸術を生み出すために、自分自身との挑戦を生涯続けた。最期は精神病棟で死に至る。
どちらも偉大な音楽家である。
しかし、私個人としては、音楽家シューマンの生き方に「美しさ」を感じてならないのである。
「美しさ」 その裏側には 人知れない苦悩や深い悲しみがあるのだろう。
だからこそ、人の心を惹きつけるのではないだろうか。
兎角、肩書き社会で生きている我々は つい、成功することや
人々から喝采を受けることばかりに価値があるという見方をしてしまいがちで
あるが、すべてが そうとは言い切れないのだということにも気づかなければ
ならないのである。
左足を摩りながら、しみじみと思う。
この怪我には 大きな意味があったのだと。
自分を反省しつつ、今日はペンを置くことにしよう。
つい六年前までは 乗馬が私の生活の大部分を占めていた。
とは言っても、あくまでも心身の健康と趣味の域として。
そして、ずっと馬と関わっていくことが私の人生であり、一生それが続くも のと疑いもしていなかった。(浅はかにも・・)
思えば、乗馬は 私に人生を教えてくれた。
正しく「忍耐・謙そん・愛情」の三言。
この三言のうち、一つでも欠けてしまっては、馬と関わる者として失格とい うことになる。全く同じことが、人生でも言えよう。
なぜ、乗馬を諦めなければならなかったのかという事は 今、ここでは
触れたくない。
私は馬を忘れるために、そして、身体の痛みに、二年間もの間、苦しみ続
けた。
イタリア人の夫が、少し気分転換に、好きなチェロを習い始めてはどうかと
勧めてくれたが、それさえも首の不調で続けられなかった・・・
そんな私の変わり果てた姿を見兼ねたフランス人の親友が、ある日、
クラシック・バレエを勧めてくれたのである。
そして、ローマの街中にあるバレエの少人数の大人クラスを見学するに
至った。見学日には 懐かしい・日本の「桜・桜」をピアノで伴奏して、
私を歓迎して下さった事も含めて、目から鱗が落ちるような思いを経験
した。
「やってみたい ! 」という思いで全身が震えた・・・
クラスメートは 子供の時からバレエに親しんできた連中ばかり。
でも、私にとっては人生始まって以来のバレエ・・・
個人レッスンを加えて、調整しながら半年も経過した頃、
クラスのレベルが物足りなく思えるようになるまでに、私のバレエは
成長してしまったのである? ? ?
そうして、プロ・アマチュアを対称にしている現在の舞踊学校へ籍を
置くことを希望した。
レッスンを受けることを許可はされたものの、大きなハードルを幾つも
越えなければならなかった。
自分自身との戦いの日々が始まった・・・・
一学年が過ぎ、終了式には 担当のマエストロから優秀賞を受賞。
現在もこの学校に通い続け、一日三時間のクラシック・バレエのレッスン、
週末には フラメンコ(+スパニッシュダンス)も加えた。
クラシックでは 飛んだり・跳ねたりという飛躍のパが好きで、
フラメンコでは つま先とヒールに、小さな釘がいっぱい打ち込まれている
靴で、思いっきり、足を踏み鳴らし、リズムを取ることが最高に楽しい。
そして、どちらのダンスにも音楽がある。
ダンスは 音楽を聴くことから始まって、音楽で終わる。
踊り込んでいくと、自分自身の中から、湧き上がってくるものを感じる。
それを言葉にするのは難しいが、一つの自己表現なのだと思う。
クラシックで、足の親指の先に水ぶくれが出来て痛くて、
更にフラメンコで、足の指が赤く腫れ上がっていても、
それでも私は踊り続ける。ダンス・ダンス・ダンス・・・
何も考えないで踊る。
今の瞬間を踊る。
愛しい人たちの分まで踊る。
いっぱいの愛を込めて踊る。
ダンス・ダンス・ダンス・・・・・
ダンスは祈りにも似ている。
そう、私にとっては ダンスは祈りなのかも知れない。
この先も、自分自身で、目の前に壁をつくることはせずに、
自由に可能な限り、自分との挑戦を楽しみながら続けていきたいと思う。
六月には 二つの舞台が待っている。
さあ、ダンス・ダンス・ダンス。
挫けそうになる身体を奮い立たせて、
今日も踊る・・・・
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「ダンス・ダンス・ダンス」へのコメントを投稿してください。
今年も無事、「日本へお里帰り」をすることができて、一安心しているところである。
三週間と少々の間、八十を過ぎる両親と一緒に架けがえのない時を過ごすことができた。
母は 去年から、体調を崩してはいるが、それでも去年と比べると、大分快復していることが、目に見えて分かった。何よりも、母自身が快復しようと努力している姿に感銘を覚えた。
しかし、問題は 投薬の影響が大きいこともあろうが、母の体力が今までより、落ちてしまったことである。それが、時として、母を不安と狼狽に陥れる。
日常生活が、今までのように、すべてが自分の思う通りに快活にはいかなくなったという現実が待っていた。
でも、これは人間の摂理上、自然の成りゆきだと、本人も周りの者も現実を受けとめるしか道はない。そして、その現実に歩調を合わせて、日々の生活を送るしか方法はない。
父の方は 私が一度たりとも 愚痴というものを聞いたことがないという昭和一桁の厳格な性格の持ち主である。
この厳格な父が、兎に角、時間を急く。
時間が必要になった母を更にパニック状態にと陥れる。
しかし、母も まだ負けてはいないのが、せめてもの救いである。
両親は 今までの人生を歩んで来た、そのままの勢いで、時間を押し通そうとしていた。時として、その姿には 迫力すらを感じる程であった。
私は 一体、何時まで、この勢いで、この生活を続けられるのだろうかと、不安を感じていた。
そんな矢先に、日本へ電話を入れると、父が脊髄ヘルニアで、目下、治療中という。
今、不自由な生活をしている父には申し訳がないと思いながらも、これを機会に、美味しいイタリアのワインを舌の上で嗜む時のように、後・数秒、後・数分・・・と、少し時間というものを味わっては頂けないものであろうかと切願する。
映画のスローモードを見るように、ゆったりと気分を落ち着けて生活をするということを何時も心の隅に留めて置いて頂けたらと思う。
そうすれば父と母のような関係も、少しは 滑らかに、円滑になってくれるであろうことは間違いないに、違いない。
「永遠の都ローマ」に住む私は 世界中からの観光客や地元に住む他国籍の人々を 毎日、当然のごとく目にする。
ここで、人種という取り上げ方はしたくはないが、大きく、欧米系とアジア系に分けて、お話させて頂きたい。
我われアジア系は 兎に角、姿勢と歩き方に、落ち着きがない。一方の欧米系はというと、誰もが自信たっぷりに堂々と胸を張り、歩き方も、ゆったりと落ち着いている。
良いお手本には 素直に見習う価値があると思うのは 私だけではあるまい。
「ゆったり。」ということは 時間をよく味わってということである。
「味わう」ということは「楽しむ。」ということに繋がる。
「ゆったりと、ささやかな人生の時を豊かにしようではありませんか。」
私自身も、日本へお里帰りをする前までは 時間に追われる生活をしていた。
しかし、今、こうして「ゆったり。」を心がけて生活をしてみると、今まで、見えていなかった物までもが、不思議と鮮明に見えてくるではありませんか。
と、同時に、今、自分がここに存在しているということに、感謝の思いでいっぱいになる。それは 自分という人間をこの世に送り出してくれた両親へであり、異国文化の私を受け入れてくれる夫へであり、私を支えてくれている・すべての人々への感謝の思いである。
今年も貴重な「日本へのお里帰り」でした。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「映画のスローモードを見るように、美味しいワインを嗜む時のように」へのコメントを投稿してください。
by 大阪ナイツ
2014.10.21
by 大阪ナイツ
2014.10.11
by かめ
2014.09.11
by 青空
2013.12. 6
by のんたん号
2013.11. 2
by 大阪ナイツ
2013.11. 2
by 大阪ナイツ
2013.08.31
by 大阪ナイツ
2013.08.12
by 田園豆腐
2013.07.20
by 大阪ナイツ
2013.07.10
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「足の痛みに 思うこと・・・・・」へのコメントを投稿してください。