レッスン時には その日、その日の自分の心模様を一心に踊りに托す。
悲しい事があった日には 手の指先の先までに神経を走らせて、
その指先を見つめながら、悲しみいっぱいに踊る。
喜びに満ちている日には 笑顔で、身体の隅々の筋肉まで呼び起こし、足を思い切りアンデオール(外側に向け)。更に、足のつま先の指まで柔らかくカールさせて陽気に跳ね上がる。
そして、いつの日も、どんな心模様の日にも、レッスンの最高潮は「グラン ジュテ」(一番大きな飛躍のパ)で極める。
ありったけの力で足を蹴り、顔は上方へ向け。
目は その先の遠い彼方を見つめて、「グラン ジュテ」 ! ! !
私の心は いつも明日に向かって「グラン ジュテ」! ! !
親しき隣人が息をひき取った・・・・・
されども ローマの九月は 限りなく晴天なり。
中庭には 優しい小鳥のさえずりが響く。
何事もなかったかのように時は流れる。
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怪我から、七ヶ月ぶりにレッスンを再開して、二ヶ月が経ちました。
私からは 以前の「強気さ」は すっかりと消えてしまいました。
痛い目に合ったお陰で、自分の身体を「謙虚に」使う事を悟ったのです。
例えるならば、踊りというものは 楽器を奏でる事に非常に似ていると思うのです。
自分の身体は楽器であり、その身体を奏でるのは 自分の頭脳と感情から。
怪我以前の私の踊りは 恥ずかしながら、「皆さん、ご覧になって下さい ! 」と言わんばかりに、いとも「強気」だけで押し続けて来たように思うのです。
自分の身体を隅々まで謙虚に使って、表情豊かに奏でることを知らなかったのです・・・
何よりも踊る事が好きで堪らない人間が、「七ヶ月という間、踊れなかった思い」は 私を随分と成長させてくれたようです。
私の怪我など、不運の例に例えるには 大げさ過ぎますけれど、
長い人生、誰もが大なり・小なりと、いろいろな苦境に出合うことでしょう。
そして、思い悩み・苦しむことでしょう。
でも、それは 人間として「一層、強くなるためのチャンス」を与えられたのだと思って欲しいのです。
必ず、その苦境の状態の中で、自分自身と向かい合い、何かを得る(発見)ことができる筈です。
踊りの上では 私の左足は まだ以前には遠い状態です。
が、それも助けてくれてのことか、今の私の踊りは 以前より、力が抜けて軽やかに・自由に、空中を描けるようになりました。
クリスマス休暇に入る最後のレッスン時、決して生徒を公に褒めたことのない
マエストロが「トミイ、セイ ミイリオラータ ! 」(上達した。)と。
過去二年間の間、綺麗でない踊りの代名詞として、何時も私の名前を上げてきたマエストロの口からは 思ってもみない言葉でした・・・
マエストロのこの言葉が 私の今年の最大のクリスマスプレゼントとなりました。
音楽が続くかぎり、踊っていたい・・・・・・・・・・・
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