数年前に「お金で買えないものなんてありますか」と言い放って世間の反感を買った人がいたが、お金で買えないものは本当にないのか?
「火消しの心意気が銭で買えるって言うのかい!」
「を組」の新門辰五郎(※1)ならそんな啖呵を切ったかも知れないが、現代人が自信をもって言い切るのはちょっとおぼつかない。
サービスが隅々にまで行き渡った結果か、あるいはニッチな分野を開拓し尽くした結果か、現代ではホスピタリティ(おもてなし)のような、人の心が原点にある行為ですら「サービス」という形で提供されるに至ったからだ。
辰五郎親分が現代に生きていたら、何と言うだろうか。
辰五郎 『それじゃあ聞くが、「幸せ」が金で買えるってことかい?』
現代人 『その通りです。親分』
辰五郎 『何を~!いくらで値踏みするんだ。「幸せ」を?』
現代人 『親分、そう大きな声を出さないでくださいよ』
辰五郎 『やかましいわ!!!』
現代人は辰五郎親分に次のように説明した。辰五郎親分はあっけにとられた。
(※1) 新門辰五郎 江戸時代後期の町火消。火消や喧嘩の仲裁等で活躍
幸せの値段は7万5000ドルであるという研究結果が発表された。
人は収入が低くて暮らしが貧しいと幸せを感じない。これは理解できる。
同時に、幸せだと感じる度合いは収入の増加に比例して上がっていく。これも理解できる。
しかし、ある収入レベルまで行くと、幸せだと感じる対象が収入から別のもの移行する。それ以上収入が上がっても幸せを感じなくなるボーダーラインが存在する。
プリンストン大学の研究チームが2008年~2009年にかけて米国人45万人以上を対象にアンケートした結果、その平均値が7万5000ドルだったのである。
日本円に換算すると、それはそれで、何となくそれらしい値が出てくる。
現代人 『辰五郎さん、お分かりいただけましたか?』
辰五郎 『わかるわけないやろ!』(何故か大阪弁)
プリンストン大学の研究者によると
「お金があればあるほど幸せになるという訳ではないが、お金が少ないということと感情的な苦痛とは関連している」
「ある一定の安定した収入を超えると、心の満足は各人の気質や生活環境など(お金では無い要素)によって左右される」
と述べている。
辰五郎 『馬鹿馬鹿しい』
辰五郎さん、本日は、はるばる江戸時代からお越しいただき、何のもてなしもせずに申し訳ありまでした。
辰五郎 『俺は忙しいんや。これから火を消しに帰る』
現代人 『有難うございました』
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「幸せの値段」へのコメントを投稿してください。