僕、セミクジラ。
函館山に程近い弥生町というところに建っている石像です。
昭和32年、かつて遠洋捕鯨会社の船長さんだった天野太輔という人が僕たちの仲間の供養のために建てたということです。
ところで皆さんは「セミクジラ」という名前の鯨知っていますか?
背中の曲線が美しいことから「背美鯨」って書くんだよ。
大きいものでは18mぐらいになるんだけど、僕は模型だから8尺(2、4m)なんだ。
2つの噴気孔が離れているので、潮吹きがV字型に見えるのも僕らの特徴。
昔は鯨と言えば僕の姿を連想するほど日本人には御馴染みの鯨だった。
脂肪が多くて動きが遅いのに、好奇心が旺盛でつい沿岸まで接近してしまう。
しかも自慢の背中を海面上に出して泳ぐものだから捕まえ易かったんだろうね。もっぱら捕鯨の対象にされてしまった。
さらに人間にとってよいことは脂肪のお陰で鯨油はたっぷり取れるし、どんな鯨より美味。そして長い鬚(ひげ)も利用価値が高かったんだ。
西洋では女性のコルセットや馬車のムチ、傘などに加工され、日本では工芸品や人形浄瑠璃の仕掛けにも使われたんだ。
欧米の船は石油が資源になるまで鯨油を取る目的で僕を追いかけ、いらない部位は捨てられたけど、日本では僕らのことを見事に使い切ってくれたよ。
ペリー提督が函館に開港を迫ったのも、米国捕鯨船の燃料や食糧の補給港が必要だったからだって。そんなアメリカなのに近年ではシーシェパードとかいう環境保護団体が僕たちを護るんだ!と言って、日本の調査捕鯨を妨害するようになった。
僕の存在を知っている人が、「日本人はクジラを食べるけど、供養もしている。供養塔を見せてやれ。」と怒っていたよ。そのシーシェパードの船長も傍若無人ぶりが仇となって逮捕されたそうだけどね。
話を戻そうか。
僕を作った天野さんは明治40年から26年間に渡り捕鯨事業に従事し、捕獲された鯨は二千数百頭を数えたという。
日本沿岸に相当数回遊していた僕たちは外国や日本の捕鯨船に乱獲されて、ついに絶滅の危機に瀕してしまった。
三人の子供を失い、妻に先立たれた天野さんは寄る年波、人の世の無常を感ずるに至り、鯨の命を奪ってきた罪の大きさに気付いて、鯨族諸精霊の菩提を弔いたいと考えた。
背美鯨の捕獲を絶対に禁止し、今後は姿を見ることができなくなるだろう僕の姿を思い、僕を模った供養塔を建立したというわけさ。
最近では毎年6月に近くのお寺で「鯨族(げいそく)供養慰霊祭」も行われるようになった。今年もついこの間だった。
僕の供養塔の前に中学校があって、供養祭が近づくと生徒や周辺の人が僕を磨いたり、草取りや清掃をしてくれるんだ。
感謝されて、なんだか照れくさいけど、僕の仲間たちを忘れないでいてくれて嬉しいよ。 <後編へ続く>
桜前線がいよいよ北海道に上陸し、函館の開花宣言もまもなくである。
平年より少し遅れたが、近くの桜ヶ丘通りでは桜の蕾がふくらんで出番を待ちかねるように、ピンク色に染まっている。
ソメイヨシノは氷点下24度を下回る地域では育たないので、道東や道北でその姿を見ることはできないが、道南から札幌周辺まではソメイヨシノが標本木となっている。
300種以上ある桜の中で、桜と言えばソメイヨシノと言われるほど日本に圧倒的に多いこの桜の歴史は意外に新しい。
江戸時代後期から明治にかけてエドヒガンとオオシマザクラのかけ合わせ、あるいは突然変異によって誕生した園芸品種で、昭和のはじめ頃まで盛んに植えられるようになった。
大流行した訳は接木が簡単で成長が早く、花が枝いっぱいに咲くからということだが、私は色といい、形といい、あの何とも清らかな風情にもあると思っている。
日本人に桜が好まれる一番の理由は散り際の美学にあるのではないか。
潔く舞い散る姿は死を連想させる。死の後には必ず再生が待っている。死と再生の輪廻という死生観が花びらのほんのりとしたピンク色と相まって、自分の人生を重ね合わせてしまうのかもしれない。
もし桜から桜色を抽出しようとしたら、それは花からではなく桜の木の真っ黒なごつごつした皮からとるという。
そのタイミングは花が咲く直前の蕾の頃に限定される。
正しく今私の見ている桜の状態ということである。
その証拠に春先に剪定されて切り落とされた桜は、花瓶の中で花が咲いても白いのである。
木が樹液を一生懸命枝葉に送り出し、太陽の力を借りて長い旅路の果ての姿が花になるのだという。人の目には見えないが、すでにあの美しい桜色が木の根っこにも幹にも枝にもたっぷりとあるのだと思うと、その神秘に心を打たれる。
人は桜が咲いた、散ったと騒ぐけれど、桜の木は毎年命を使い果たして咲いていたのだ。桜にとっては一年の最後の姿。
夏に花芽をつけた桜は一端休眠し、一定期間低温にさらされることにより目覚め、また花を咲かせる準備を始める。
そんな秘められたパワーがあるからこそ、見る人すべてに沢山の元気を与えることができるのだろう。
しかも桜は長寿である。樹齢300年、400年という桜も全国には珍しくない。日本一の長寿の神代桜は推定樹齢2000年。また今見頃となった福島県三春の滝桜は樹齢1000年を超えるという。さぞかし圧巻であろう。
しかし、これはすべて自生する桜のことで、ソメイヨシノの寿命は長くて100年と言われている。
ある桜守の言によるとソメイヨシノは結実することのない品種。自生できないいわゆるクローン桜であり、そろそろ一斉に枯れはじめる時期にさしかかっているのだという。
桜はクローンかもしれないが、そのお陰でこのように日本全国に広がり、ごく身近で愛でることができるようになったことも事実である。
この美しい景色を守るためにこれから人の努力が必要ということであろう。
函館の桜の名所五稜郭公園には大正3年から10年を費やしてソメイヨシノをはじめ、南殿、関山、普賢象といった桜1万本が植樹されたそうである。
現在はそろそろ樹齢90歳から100歳を迎える1600本の桜が見事に生き続け、五稜の星のお堀端を桜色に染める。
桜の木の間をカモメが飛ぶ姿もここならではの光景だろう。
今こそ桜の逞しさに支えられてきた恩返しをしなければならない。
さながら介護のようでもある。
今年は桜守の気持になって、桜のことを心配しながら、桜の木の下に佇むことにしよう。
だが、人の介護と同じように支えていると思っていたら、いつのまにか支えれれているのかもしれない。それほどのパワーが桜にはある。
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朝食を終えた母が膳に向い「ご馳走さまでした」と深々と頭を下げて、
「負けた!」とつぶやいた。
この一言を聞くと私は嬉しくなる。
誰が負けたのか?
中高年の読者ならもうお解かりだろう。
負けたのは牛。勝ったのは馬である。
食事が美味しかった時、「馬勝った(旨かった)、牛負けた」と昔はよく当たり前のように口にしたそうだ。
江戸時代に始まった言葉遊び「地口(じぐち)」の一つである。
今でいう駄洒落は食卓を和ませたのだろう。
特別なご馳走ではないが、母はよくこう言ってくれる。
「また、牛さんの負けなの?」と私。
「負けたの!」と語気を強める母。
母はうま年だから、馬が連勝中で我が家は万事めでたし!である。
食後深々と一礼する姿はとても礼儀正しく、こちらが襟を正される思いがする。それは母にとって至極自然なことらしい。
食事を作った私に対しての気持もあるかもしれないが、93歳の母には今日食べられることの感謝や誰の手も借りずに自分で食べられることの有難さがその形に表れているような気がする。
さて、母のかかりつけのクリニックへ行くと、血液検査の結果、カリウムの値が高いということであった。
腎臓に負担がかかり、腎不全や心不全の原因になるので、カリウムを排泄するゼリーも処方されたが、なるべくカリウムを多く含む食品は摂らないように。特にバナナ、柑橘類、生野菜はダメだという。
調べてみると大半の食品はカリウムを含んでおり、カリウム制限というのは存外難しいものだということがわかった。
その話をすると知人から「あまり神経質にならずに、摂りすぎなければお好きなものを召し上がった方がいいのでは?」と言われ、目が覚めた。
あれは7年前のことだった。大好きなイカを「あまり食べないように」という注意の後、「86歳まで食べてきたんだから、もういいでしょう」と医師から言われたことがある。
しかし、「今日はイカの姿見なかった?」とイカ刺しを楽しみにしている母を見ると元気になってもらいたくて、その後もイカが食卓から消えることはなかった。
好きなものを食べることは元気の源だ。データーでは計り知れぬものがある。
数値が極端に高い食品は避けるとして、喜ぶものをこれからも作ればよいのだと思ったら、少し気持が軽くなった。
野菜は小さく切って茹でこぼすことでカリウムを減らすことができ、果物は缶詰ならカリウム値が低いとアドバイスしてくれる友人もいた。
何事も人に話してみるものである。
先日、百貨店で販売されていた人気の駅弁を親戚が買ってきてくれた。
その名も明石名物の「ひっぱりだこ飯」
ここにも日本の言葉遊びの心が生きていた。
蛸壺型の陶製の容器を見ただけでわくわくしてしまう。
中身は色彩も風味も豊かな具の入った炊き込みご飯で、上に明石蛸のうま煮がのっているが、それが何ともやわらかい。
御当地でいただく出来たての駅弁の味は格別のものであるけれど、これは時間を経ても美味しさを損なっていなかった。
微に入り、細をうがつ作り手の気持が伝わってくるようだ。
母はイカも好きだがタコも大好きである。
気分はもう明石海峡!
駅弁一つでどれほど幸せな時間が流れたことか?!
馬が圧勝したことは言うまでもない。
蛸の足を箸でつまみながら「蛸ちゃんで~す」と笑い声を響かせ、ひっぱりだこ飯をほお張る母子であった。
終着駅には当分たどり着かなくてよい。私達の幸せな時間旅行はまだまだ続く・・・。
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