当コラムの作家ぽんたんこさんの「ぶっぽうそう」(8月11日)というタイトルを見て、その名を持つ鳥のことを思い出した。
この鳥は「仏法僧」と啼くものと長く信じられてきた霊鳥である。
弘法大師さまの「性霊集」の中にも「後夜仏法僧鳥ヲ聞ク」と題した漢詩が残されている。
閑林に独坐す、草堂の暁
三宝の声、一鳥に聞く
一鳥声有り、人こころ有り
声心雲水、ともに了々
当時は姿も知れず、声もなかなか聞くことのできない幻の鳥であった。
ところが、昭和10年に実はこの鳴き声の持ち主がフクロウの仲間“コノハズク”であったことが判明した。
やがて、飛ぶスピードが速いために見ることのできなかったブッポウソウも、日本に夏鳥として飛来する渡り鳥であることが明らかになる。
しかもその姿は幻と呼ばれるに相応しい美しい鳥であった。
全長約30cm、頭部は黒褐色で尾羽は黒、嘴と足は赤橙色、のどは群青色、胴体の羽毛は光の加減で青や緑に輝き、飛翔しているときはまるで紋付をまとったように風切に白い斑紋を覗かせる。
正体が解明されてから、コノハズクは“声のブッポウソウ”、本家ブッポウソウは“姿のブッポウソウ”と呼ばれるようになったのである。
一方、「慈悲心鳥」という名を持つ鳥もいる。
日本の有数の霊場、日光に住む「ジュウイチ」という鳥の別名である。
日本人は昔から動物の鳴き声や鳥の歌声を人間の言葉に置き換える、または意味のある言葉やフレーズに当てはめる「聞きなし」ということを行ってきた。
「十一」という啼き声を「慈悲心」や「実心」と聞きなしたのである。
同様に、鶯の声を「法華経」の意味の「ホウホケキョウ」と聞いたのは江戸時代以降のことで、
慈悲心も仏法僧も一声のほう法華経にしくものぞなき
という狂歌が残っているほど人々に浸透して親しまれ、現代に伝わっている。
このように仏教と結びつけて聞かれたのは民衆の間に信心があったことと、誰しもが鳥の美しいさえずりに身も心も洗われ、清々しさを覚えたことを物語っている。
また、『阿弥陀経』には極楽浄土に棲み、悟りに導く鳥として六種類の霊鳥が登場する。
色とりどりの微妙の声を持つ鳥とは、実在する白鳥、孔雀、鸚鵡(オウム)、舎利(鷺とも九官鳥とも)、想像上の化鳥(けちょう)である迦陵頻伽(かりょうびんが)と共命の鳥(ぐみょうのとり)である。視覚的な美しさでお浄土を荘厳し、人語で仏法を説き、妙音を奏で、仏の心を体現するそれらの鳥のさえずる声は、悟りを得るために必要な力や心得、人としての正しい生き方を説いており、聞き終わるとすべての人が仏を念じ、法を念じ、僧を念ずるのだという。
さて、政界が騒がしい。消費増税法がついに可決され成立してしまった。
社会保障に還元される何の根拠もなしにである。
果たして政治家たちの耳にはコノハズクやジュウイチの声が“仏法僧”や“慈悲心”と聞こえるものか、甚だ疑わしい。
今こそ悟りに導く鳥の存在が必要とされているように思えてならない。
そして彼らがまず耳を傾けるべきは、毎日を精一杯正しく生きようとしている国民の声である。
2012年7月中旬、人生に何度も訪れないような大きなイベントがやってきた。
卒業以来初となる中学校の同期会である。
この会の為にご尽力いただいた同期生に敬意を表したい。
個人情報の保護が社会常識となっている昨今、消息を探し出すだけでも大変なご苦労があったと拝察する。
札幌の南区に在する母校の校庭の真ん中に大きなエルム(ハルニレ)の木があった。
そのエルムの木にエゾモモンガやオシドリが棲みつくようになり、5年前NHKの『ダーウィンが来た』という番組の中で《生命(いのち)呼ぶ校庭の巨木》として紹介された時には嬉しかった。
樹齢300年になるそうで、ますます枝葉を広げ、威風堂々たる姿となって眼前に現れた。
あの木に会いたい、旧友たちはどのように変わっただろうか?
函館から札幌までJR特急で片道3時間15分、夜の集まりとなれば一泊しなければならない。
母を介護している私は連絡のあった当初出席をあきらめていた。
しかし、今年5月、まだ50代だった京都の知人の訃報が届き、「今、会わなければ後悔する」と気持ちが動いた。
母には寂しい思いをさせてしまったが、ショートステイのできる施設にお願いする手続きを経て、時間短縮のため函館⇔千歳の空路を選び、ようやく出席に漕ぎ着けた。
38年という時の隔たりは、あっという間に取り戻せた。
外見が多少変わっていても、声やちょっとした仕草は皆昔のままだ。
私のクラスは担任の先生のご出席が叶い、その記憶力には脱帽してしまった。
何より先生の記憶に留めていただいたことが有難かった。
とにもかくにも、互いが元気で再会できたことに感謝である。
一人一人の記憶の断片をつなぎ合わせ、徐々に遠い記憶も甦ってきた。
思い出話と笑いは尽きない。
互いの人生を語るにはあまりにも短い時間であったが、「辛かったね」「よく頑張ったね」「幸せだね」と共感、共苦しあえるのは、思春期を共に過ごした学友だからであろう。
旧交をあたためながら、ここからまた新たな一歩が始まる予感がしている。
それにしても、このところ報じられている中高生のいじめや自殺のニュースが悲しい。
今の子供達が大人になった時も、笑顔で再会を喜びあえる関係であってほしいと願わずにはいられない。
しばらくは楽しかった同期会の余韻に浸っていたが、またいつもの日常が戻ってきた。
しかしこれまでと違うことがある。
それは成長した同期生たちの顔を思い浮かべながら、自分もまた前へ進もうと思えることである。
介護を続ける私に、明日という日を生きるさらなる力を与えてくれたことは間違いない。
友よ 友よ 瞳をあげよ
みんなの行く手は曙だ
静かに目を閉じ、耳を澄ますと・・・
エルムの梢の向こうから校歌が聞こえてきた。
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セミクジラ君の語り、あなたの耳には聞こえただろうか?
函館は鯨と縁の深い土地柄である。
北海道でも道南地方だけに伝わる郷土料理「鯨汁」は年越しにはなくてはならぬものだ。年末になると今でも塩鯨の塊が百貨店やスーパー、鮮魚店の一角に並ぶ。
もっとも捕鯨が禁止されてからは、調査のために捕獲された鯨か、捕鯨が許されている一部の鯨に限られているので高級品になってしまったが、そもそも鯨は古来より日本人の貴重なタンパク源であった。
日本各地で寄り鯨、流れ鯨などの座礁鯨は神の恵みとされ、とくにエビス信仰と結びついた。大きな鯨は多くの民の飢餓を救い、鯨油、鯨鬚、鯨歯を売って財を成すことができたので、お礼に神社やお寺が建てられたのである。
一方、捕鯨は危険を伴う命がけの仕事であった。殺生という罪悪感が常に付きまとったため、鯨の祟り、海の神の祟りを人々は怖れた。
調べてみると鯨の供養塔や塚は日本の各地に多く残っている。
とりわけ在胎鯨(お腹の中の胎児)や子鯨は手厚く葬られた。
京都府の伊根町蛭子神社には鯨の墓が3基あり、その一つには
「ある日親子鯨を捕ったが、母鯨の亡骸に乳を飲むような仕草で子鯨が取り付き、引き離そうとしても遂に離れず、止むを得ず子鯨も殺した。何人もこの姿を見てはその肉を食べるに忍びなく、ここに葬り墓を建て供養した。」という内容が碑文に刻まれているそうである。
鯨といえども母子の情に心を打たれたのであろう。
大型種の鯨になるとメスは10歳前後になるまで出産時期を迎えない。
また1頭産むのに1年以上の妊娠期間と出産後は2~3年の子育て期間を要する。母子の絆が深いのだ。
親鯨は子供を守るために凶暴になるため、「親子鯨は夢にも見るな」と言われたほどだという。
腹を満たし、売れば利益を得られるであろう鯨をあきらめる、そこには人間の生きとし生けるものに対する深い慈しみの心が現れている。
とかく自分のことしか考えず、ともすると人間の皮を被った・・・といわれる事件を見聞きすることがあるが、このような心優しい先人達がいたことを誇りに思い、これからを生きる我々の戒めとしたい話である。
また銛を投げて鯨を捕っていた時代、勢子船の親方は勇敢な者しかなれなかった。銛を命中させた後、弱った鯨の背に裸で飛び乗り、鯨の鼻に穴を開け綱を通す“鼻きり”は命をかけた荒業であった。親方は鯨捕りの花形役者で「羽刺(はざし)」や太夫と呼ばれ尊敬を集めたが、その生活には様々な儀礼があったと伝わる。
禊はもちろん、鯨の断末魔に念仏を唱えたり、羽刺が鯨の胎児を自分の羽織や襦袢にくるんで埋葬したり、埋葬後7日間は掘り起こされないように番人をつけることもあったという。
ここまでくると、金子みすゞさんの「鯨法会」という詩を思い浮かべる方もあるかもしれない。
日本人と鯨にこれほどの関わりがあったことを、捕鯨の長い歴史と信仰、そして育んできた鯨文化を、是非とも記憶に留めておきたいものである。
さすれば、鯨は単に食するものではなく、命をいただくという畏敬や感謝の念を思い起こさせてくれることであろう。
セミクジラの石像に会いに行ってみたくなった。
Vサインの潮を吹く雄大な姿を心に描きながら、静かに手を合わせてこよう。
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