幸せ列車の看板コラム「久世栄三郎の各駅停車」でお馴染みの久世栄三郎氏によると、「礼、節」は教えて習得できるものではなく、本来個人に備わっている素質に基づくという。
従って、仕事上の技術とかスキルには80点、90点、100点といった点数がつけられるが「礼、節」はあるか・ないか、持っているか・いないか、であり0点か100点のいずれかになるという。
前置きはこのくらいにして、松下幸之助が「素直な心になるために」という本を出していて、その中に久世氏に言うところの0点か100点しかない価値観の話が出てくる。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは賢者として尊敬された。彼は「少なくとも“自分が何も知らない”ということを知っていたから」だ。
人は真理のすべてを知る事は出来難いということ(無知)を知るべきである。これが有名な「無知の知」と呼ばれるエピソードである。
人間が知ることができることは限られている。また、人間ができることにも限界がある。それゆえ「素直さ」、「謙虚さ」ということが美徳とされる。
ところが、私たちは時々「素直」を履き違えて使うことがある。親が子に、先輩が後輩に、上司が部下に...「(もっと)素直になれ」などと言うことがないだろうか。
これに対して、幸之助ははっきりと言っている。軽々しく人に向かって「素直になれ」と言ってはいけない、と。
なぜなのか。
「素直さ」というものは、人に言われて身につくものではないからである。
「素直になれ」と人に求める人のハラの中は決まってこうだ。
「オレの言うことを聞かなければ、オマエは成長しない」
つまり、「素直さ」と言う美徳を、人に自分のいうことをきかせるためのツールとして使っている。
幸之助は言う。「素直になれ」は他の人に言う言葉ではない。ひたすら自分に向かって言う言葉だ。そして、そういう人の行動を見て、周りの人は初めて「素直とは何か」を感じるのである。
「素直さ」とは教えてもらうものではない。素直さを実践している人から感じるものであり、行動を見せることでしか説得力を持たないものである。
これは久世氏の言う「礼、節」にもつながるような気がする。教えてもらうものでない「素直さ」とは正に、持って生まれた素質である。
その素質をプラスに活かすと素晴らしい“才能”に転換できるような気がする。
春。そして新年度を迎え、新社会人となる方は松下幸之助の「素直な心になるために」を読まれてはいかがでしょうか。
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