ある人生の先輩から「今が幸せでなければ、将来の幸せを約束されたとしても意味がないと思わないか?」と言われたことがある。
それを聞いて次の詩が思い浮かんだ。
死後の盛名何するものぞ、如(し)かず生前一杯の酒
明治時代の思想家・高山樗牛の作と聞くが、「死後に名声を得るより、今ここで一杯の酒を飲む方が楽しくて幸せだ。将来の大よりも今の小を良しとする」という意味だ。
先輩はこう続けた。「原子力発電所の事故で国民の大部分がその悲惨な状況を知って恐怖を覚えている。被災した人やその関係者が原子力発電を忌み嫌うのは当然の話である」
「しかし、被災とは関係のない遠く離れた地や、責任を伴わない立場から、まるで自分が被災者の声なき声を代弁しているかの如く声高に再開反対を唱えている者がいる。そんな連中に怒りを覚える」
昨年の震災以来、電力不足の危機が繰り返されている。電気料金は高騰する。節電を余儀なくされる。産業活動が硬直化する。...というマイナスの連鎖に日本全体が取り込まれているのは確かだ。
そう言えば、原発反対を唱える人たちの中に「反対するだけ」で代替案もビジョンもなしという連中が多いような気がする。それが政治家だったりすることが多いので困ったものだ。
電気のような社会インフラは、例えれば身体を流れる血液のようなもの。心臓に疾患を生じて血液の通りが悪い状態ではいくら気力があっても長時間、激しい運動は無理である。
地球という星の表面に薄皮のように貼りついて寄生している生物が、完全に安全な「薄皮」をどうして作れようか。
現時点で可能な最大限の精査をした上で、血液の流れを正常なレベルに戻して正気を取り戻し、元気を取り戻し、競争力もつけて、その上で根本的問題の心臓疾患を根底から解決するべき。
根本の問題解決のために、問題ある原発を使ってでも体力を復帰するしかないのに国は何をモタモタしてる!と先輩は言いたかったのだろう。
原発が人々に危険をもたらす「こわいもの」だとしても、1年ちょっと前まではみんなの生活が支えられていて大部分の人がコワいと思っていなかったことも事実である。これが「悪」だとしても、今はその「悪」をもってして生命力を蘇らせ、そのあかつきに彼の「悪」を制するべきではないか。
さまざまな意見もあろう。もっと議論も必要だが、押し問答をしていても「幸せ」は遠ざかるばかりだ。日本にとって「今が幸せあること」=「国内産業が元気を取り戻すこと」ではないだろうか。
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