セミクジラ君の語り、あなたの耳には聞こえただろうか?
函館は鯨と縁の深い土地柄である。
北海道でも道南地方だけに伝わる郷土料理「鯨汁」は年越しにはなくてはならぬものだ。年末になると今でも塩鯨の塊が百貨店やスーパー、鮮魚店の一角に並ぶ。
もっとも捕鯨が禁止されてからは、調査のために捕獲された鯨か、捕鯨が許されている一部の鯨に限られているので高級品になってしまったが、そもそも鯨は古来より日本人の貴重なタンパク源であった。
日本各地で寄り鯨、流れ鯨などの座礁鯨は神の恵みとされ、とくにエビス信仰と結びついた。大きな鯨は多くの民の飢餓を救い、鯨油、鯨鬚、鯨歯を売って財を成すことができたので、お礼に神社やお寺が建てられたのである。
一方、捕鯨は危険を伴う命がけの仕事であった。殺生という罪悪感が常に付きまとったため、鯨の祟り、海の神の祟りを人々は怖れた。
調べてみると鯨の供養塔や塚は日本の各地に多く残っている。
とりわけ在胎鯨(お腹の中の胎児)や子鯨は手厚く葬られた。
京都府の伊根町蛭子神社には鯨の墓が3基あり、その一つには
「ある日親子鯨を捕ったが、母鯨の亡骸に乳を飲むような仕草で子鯨が取り付き、引き離そうとしても遂に離れず、止むを得ず子鯨も殺した。何人もこの姿を見てはその肉を食べるに忍びなく、ここに葬り墓を建て供養した。」という内容が碑文に刻まれているそうである。
鯨といえども母子の情に心を打たれたのであろう。
大型種の鯨になるとメスは10歳前後になるまで出産時期を迎えない。
また1頭産むのに1年以上の妊娠期間と出産後は2~3年の子育て期間を要する。母子の絆が深いのだ。
親鯨は子供を守るために凶暴になるため、「親子鯨は夢にも見るな」と言われたほどだという。
腹を満たし、売れば利益を得られるであろう鯨をあきらめる、そこには人間の生きとし生けるものに対する深い慈しみの心が現れている。
とかく自分のことしか考えず、ともすると人間の皮を被った・・・といわれる事件を見聞きすることがあるが、このような心優しい先人達がいたことを誇りに思い、これからを生きる我々の戒めとしたい話である。
また銛を投げて鯨を捕っていた時代、勢子船の親方は勇敢な者しかなれなかった。銛を命中させた後、弱った鯨の背に裸で飛び乗り、鯨の鼻に穴を開け綱を通す“鼻きり”は命をかけた荒業であった。親方は鯨捕りの花形役者で「羽刺(はざし)」や太夫と呼ばれ尊敬を集めたが、その生活には様々な儀礼があったと伝わる。
禊はもちろん、鯨の断末魔に念仏を唱えたり、羽刺が鯨の胎児を自分の羽織や襦袢にくるんで埋葬したり、埋葬後7日間は掘り起こされないように番人をつけることもあったという。
ここまでくると、金子みすゞさんの「鯨法会」という詩を思い浮かべる方もあるかもしれない。
日本人と鯨にこれほどの関わりがあったことを、捕鯨の長い歴史と信仰、そして育んできた鯨文化を、是非とも記憶に留めておきたいものである。
さすれば、鯨は単に食するものではなく、命をいただくという畏敬や感謝の念を思い起こさせてくれることであろう。
セミクジラの石像に会いに行ってみたくなった。
Vサインの潮を吹く雄大な姿を心に描きながら、静かに手を合わせてこよう。
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