1961年に米国ユタ州で3つの電話中継基地がテロ組織によって爆破され、国防総省の回線が一時完全停止してしまった事件を今でも鮮明に憶えている人はいないと思うが、それがきっかけとなって「インターネットが誕生した」と言われている。
国防総省は従来の電話網ではいざという時にはまったく役に立たない事を危惧し、核戦争にも耐えうる通信システムの研究を開始したのである。
それが始まりとしてもインターネットは半世紀ほどの歴史である。わずかの時間で全世界で使われる通信システムに大発展した。産業革命を凌駕する発明かも知れない。インターネットは「便利な道具」という段階を越えて「それなしでは不便なインフラ」になっている。
人間の作ったシステムには常に正と負、表と裏の相反する二面がある。人間を良い人と悪い人に分けるとすれば、良い人はよく使い、悪い人は悪く使う。負や裏の面で言えば、人間の欲望を助長したり射幸心を煽るような手段を選ばないビジネスサイトを介して引き起こされる事件は後を絶たない。
一方、正や表の面ではこんな例もある。
米フィラデルフィアに住むスティーブ・カーター(35)という男性は「行方不明になっている子どもの検索サイト」で偶然、自分自身を発見した。
彼は4歳でホノルルの児童養護施設から養子として引き取られた。その後、結婚し、自分の子供を持とうと考えた時、自分のルーツをもっと深く知りたいと考えるようになった。
そんな折、アトランタ在住のある女性が行方不明の子どもの検索サイトで自分の赤ん坊の頃の写真を発見し、自分が生まれた直後にある女性に誘拐されたことを知り、今年1月に血縁者との再会を果たしたという記事を読んだ。
カーター氏は勘を頼りにあるサイトを検索したところ、幼少期の自分の写真からエイジ・プログレッション(経年人相画)技術を駆使して作られた写真を発見。早速、ホノルル警察に連絡し調査を依頼した。
そしてDNA検査の結果、生まれた時に付けられた名前など、これまで不明だった人生の断片が明らかになった。
カーター氏の実の父親は30年以上前、母親がカーター氏を散歩に連れ出したまま戻らなかったため失踪届を出していた。カーター氏は、母親が自分をハワイの児童養護施設に預けたと考えている。父親は現在2人の娘とともにカリフォルニアに住んでおり、母親の所在は不明だという。
この再会はインターネットの正の面を象徴している。こんな離れ業はインターネットでないとできないだろう。なにかと負の面ばかりがピックアップされて一部の人にはイメージの悪いインターネットだが、使い途は使う人次第で良くも悪くもなる。
社会から歓迎され、賛同されるインターネット活用と役に立つウェブサイトが増えてほしいものである。
ある人生の先輩から「今が幸せでなければ、将来の幸せを約束されたとしても意味がないと思わないか?」と言われたことがある。
それを聞いて次の詩が思い浮かんだ。
死後の盛名何するものぞ、如(し)かず生前一杯の酒
明治時代の思想家・高山樗牛の作と聞くが、「死後に名声を得るより、今ここで一杯の酒を飲む方が楽しくて幸せだ。将来の大よりも今の小を良しとする」という意味だ。
先輩はこう続けた。「原子力発電所の事故で国民の大部分がその悲惨な状況を知って恐怖を覚えている。被災した人やその関係者が原子力発電を忌み嫌うのは当然の話である」
「しかし、被災とは関係のない遠く離れた地や、責任を伴わない立場から、まるで自分が被災者の声なき声を代弁しているかの如く声高に再開反対を唱えている者がいる。そんな連中に怒りを覚える」
昨年の震災以来、電力不足の危機が繰り返されている。電気料金は高騰する。節電を余儀なくされる。産業活動が硬直化する。...というマイナスの連鎖に日本全体が取り込まれているのは確かだ。
そう言えば、原発反対を唱える人たちの中に「反対するだけ」で代替案もビジョンもなしという連中が多いような気がする。それが政治家だったりすることが多いので困ったものだ。
電気のような社会インフラは、例えれば身体を流れる血液のようなもの。心臓に疾患を生じて血液の通りが悪い状態ではいくら気力があっても長時間、激しい運動は無理である。
地球という星の表面に薄皮のように貼りついて寄生している生物が、完全に安全な「薄皮」をどうして作れようか。
現時点で可能な最大限の精査をした上で、血液の流れを正常なレベルに戻して正気を取り戻し、元気を取り戻し、競争力もつけて、その上で根本的問題の心臓疾患を根底から解決するべき。
根本の問題解決のために、問題ある原発を使ってでも体力を復帰するしかないのに国は何をモタモタしてる!と先輩は言いたかったのだろう。
原発が人々に危険をもたらす「こわいもの」だとしても、1年ちょっと前まではみんなの生活が支えられていて大部分の人がコワいと思っていなかったことも事実である。これが「悪」だとしても、今はその「悪」をもってして生命力を蘇らせ、そのあかつきに彼の「悪」を制するべきではないか。
さまざまな意見もあろう。もっと議論も必要だが、押し問答をしていても「幸せ」は遠ざかるばかりだ。日本にとって「今が幸せあること」=「国内産業が元気を取り戻すこと」ではないだろうか。
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終着駅という言葉に何か特別な余韻を感じるのは筆者だけだろうか。この「幸せ列車」のページは「誕生」から「旅立ち」まで設定されているが、人生をそれらに委ねて考えてみると、自身の年齢がどの辺りになるかを考えてしまうこの頃である。
筆者は「旅」が好きである。現役時代に講演活動で週に5000キロも新幹線で移動した体験もあるが、現在はゆっくりとした行程を考慮しながら、残された余生を楽しもうと考えている。
終着駅があれば始発駅が存在するのは当たり前だが、最近では出来るだけ始発駅から出発することに「執着?」している。
年間に何度か伊勢神宮に参拝するが、友人達と一緒の場合は近鉄の上本町で待ち合わせ、決して便利でも次の駅である鶴橋駅からの乗車をしないことにしているし、東京や博多へ向かう場合にも新大阪駅始発の列車を選択している。
それは、如何にも旅に出るというイメージを感じるからで、入線してから発車するまでの時間の余裕も旅の感覚の一つと考えているからだ。
鶴橋駅で伊勢方面への特急を利用すると、到着してから約1分で発車となり、何か通勤や仕事に出掛ける雰囲気になってしまうからで、それらは北海道へ飛ぶ飛行機でも同じで、ちょっと不便だが、伊丹空港ではなく関西空港まで運ぶことにしている。
ある時、腰痛を押して北海道へ飛ぶ際、自宅近くでタクシーを止め、阪和道経由で関西空港までと告げると、運転手さんから「この時間帯なら阪神高速から湾岸を経由した方が早いし、料金も割安ですよ」と言われたので「任せます」と返して出発したのだが、阪神高速の恵比須町から入ると本線上は大渋滞。「環状線だけですよ。南港へ向かう線に入れば流れていますよ」と言われるので期待していたら、その渋滞の原因は、南港へ向かう途中で発生していた大きな事故の影響からだった。
流れが止まって1時間以上も動かない。気になるのは出発の時間だが、やっと動き出したのはそれから40分以上も経ってから。お陰で関西空港へ到着した時間は、予約していた飛行機が出発してから30分後だった。
車内から搭乗変更の電話を入れていたので追加金を支払うことはなかったが、次の千歳行きまで3時間以上もあったので参ったという出来事で、腰痛が酷くなかったら伊丹への移動をしただろうが、「痛み」が「伊丹」行きを止めたという親父ギャグが浮かんだ体験でもあった。
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