東京大学大学院教育学研究科の研究によると、運動や楽器演奏で同時に両腕を動かす場合、片腕ずつ練習してもさほど上達が見込めないという。
左腕に一定の力を加えて動かしづらくしたうえで、動く標的に左腕、あるいは両腕を伸ばして触る実験を繰り返し、効果的な学習の手法を調べた結果、左腕だけを使い標的を触れるようになった後、右腕も同時に動かすと、左腕の成績は7割まで落ちた。
順番を逆にして、両腕を動かしながら左腕で標的に触れるようになった後、左腕だけを使うと、同様に7割の能力しか発揮できなかった。(この傾向は利き腕に関係なく見られた)
片腕だけを動かして覚える時と、両腕を動かしながら覚える時の脳の働き方が違うと推定し、片腕ずつ技術を身に着けていく練習では100%の力を発揮できない可能性があると結論付けている。
「両腕をバランスよく使うことが重要。片腕ずつ練習するにしても、もう片方の腕を動かしているイメージを常に持ち続けると効果的」ということだ。
この両腕理論は、麻痺(まひ)した腕のリハビリを効果的に進めるヒントになると期待されている。
ところで、紙にペンで文字を書くのは片手だが、前述の両腕理論からすると、右手と左手にペンを持って同時に文字を書いたら、「字がうまくなる」という理屈になる。それを実際に自分で試してみた。
その結果、確かに字がうまく書けるような気がした。というのも、両方を同時に動かす場合、脳の中でペンの向かう方向や距離を「右手」「左手」で時分割しながら緻密にコントロールしているようなのだ。
PCが普及した現代は、紙とペンに代わってモニタとキーボードで文字を記すことが多くなった。この時も両手でキーボードを打てれば、片手よりスピードが速いことは当然だが、それ以外にも脳が両手のコントロールのために活発に動くことで頭の体操になる。
例えばボケ防止にも、ブラインドタッチ(キーボードを見ないで両手でキーを打つ)の練習が手軽でいいように思う。
メールマガジン「夏の特集号」が始まる。テーマは「究極のサービスとは」となっている。著者は著名な葬儀司会者であるが、その方が毎日執筆されているコラムに、サービス業に従事する者にとって大変参考になる話がある。
旅館をチェックアウトされたお客さんがタクシーで最寄り駅まで向かう。その車内で交わされる愚痴や賛辞の感想こそ「口コミ」のキーワード。旅館経営者にとっては、運転手さんから得られる情報の重要性を認識されるべきと提起したい。問題提起した方の発想も素晴らしいが、それを聞いて「どうすればいいか」を自分で考え、翌日から実践に移した女将の行動の速さには脱帽だ。きっと、こういう女将(トップ)がいる旅館(組織)は、宿泊するお客さんも、勤めている従業員も満足度は非常に高いことだろう。続けて、そのコラムには「リピーター」という概念について核心をつく箇所が出てくる。
ある地方の旅館にお世話になった際、部屋に来られた女将さんとそんな話をしたら喜ばれ、出発時に思わぬお土産を頂戴したことがあったが、それから1ヶ月も経たない内に丁寧な礼状が届き、末文に次のように書かれてあった。
『次の日から、お客様を乗せてきていただいた運転手さんに「ご苦労様」と声を掛け、100円玉を入れた「ぽち袋」をプレゼント。そして、朝の出発時にもプレゼントを実行。「安全運転で」と声を掛け、車内でお客様がおっしゃられた当館の問題点を教えてくださるようにお願いしました。それにより知ることになった問題は予想外のこと。すぐに改善につとめ、スタッフ全員を含めて社内に大きな意識改革が生まれました』
ホテルや旅館では「リピーター」という言葉を重視され、そのための努力に取り組んでいるところが多いが、旅行客の大半は色々な地の様々な旅館に宿泊したいと考えており、「もう一度宿泊してみたい素晴らしい旅館」という思いがあっても行動に発展することは非常に少ないのが現実。そもそもリピーターとは何か?
ホテル、旅館の世界で「リピーター」という発想は、上述の思いを有されたお客様のご満足の声が他人に伝わり、耳にされた人達がやって来るという「口コミ」こそがリピーターと考えたい。
それを単に「ロイヤルティ(忠誠心)が高くて繰り返しサービスを利用・商品を購入してくれるユーザー」という程度の認識でいると、「我が社のリーピーターを増やせ」とか「我が社のファンを作ってリピーターにしていけ」といった分かったようで分からないお題目が、それこそいつまで経ってもリピートされるだけで、一向に本当のリピーターは増えないという結果になるものだ。
良いサービスを受け心地よい経験をしても、他に選択肢があれば、そのサービスを再び続けて受けようと思うことは少ない。何故なら、その他のサービスに興味や期待を持ち、アレコレと試して経験してみたいのが人間の本性だからです。但し、これは日用品のようなコモディティ化(※)したものには当てはまらない。日常あまり経験しない、あるいは頻度が低いサービスの利用や商品を購入する場合の話である。
※日用品、消耗品に代表される、価格あるいは量を判断基準に売買が行われるようになって差別化ができなくなる傾向。但し、こちらのような例外もある。ユーザー・エクスペリエンス(ユーザー体験:user experience)というマーケティング用語がある。製品やサービスの使用・消費・所有などを通じて人間が認知する(有意義な)体験のことを意味する。(因みに、Windows XPの“XP”はエクスペリエンスのことだ)
インターネット上には、ユーザー・エクスペリエンスについての様々な理論や解説が溢れている。例えばITの分野であれば、Webサイトを使うこと自体に「楽しい」「うれしい」という経験ができるようにデザインすることで、そのサイトへのリピート率が上がり、ビジネス上有利になるといった解説がある。
しかし、そのような理論をみんなが実践したらどうなるの?という疑問が生まれてこないだろうか?理論通りに実行して、みんなが同じレベルのサービスを提供できるようになったら...その理論の存在価値はなくなるのでは?
そこに、何かが足りない。理論では表せない何かが...と思案していると、コラムの最後に出てきた次の言葉で納得してしまった。理論が空論と化したような思いがした。
サービス業は礼節が何より重んじられるべき。お客様と接する際の言葉遣いに70点や80点という点数はつけられるが、礼節に関しては「100点か0点」しかないのが結論。サービス業のホスピタリティは、それが「基本」で「全て」であると考えたい。では、礼節とは何か?
礼節を、「基本的な行動方法を学んだ上で、それをいつどのような場合に使えば良いかということが分かっていること」と定義すれば、基本的な行動方法とは“お客様と接する際の言葉遣い”に相当し、いつどのような場合に使えば良いかは、そのサービス提供者が“身につけているか・いないか”のどちらかであると述べている。
そうなるとこれは...うーん、そう!そう言うセンス(感性)があるか・ないかという次元になる。その場の空気を読み、相手の立場に立って考え、相手に恥を掻かせないようにする...例えば下の話に出てくるような。
昔、アフリカの未開発国の王族が、格式を重んじるイギリスを訪問した。エリザベス女王が主催する晩餐会に招待された時、そのアフリカの王族は、テーブルにセットされているフィンガーボールの水を指先を洗うものとは知らず飲んでしまった。これは形式からすればエチケット違反。
ところがそれを見たエリザベス女王は、王様が恥をかくことがないようにと、自身もフィンガーボールの水を飲み干したという。
この物語はイギリス王朝のマナーの真骨頂として、今日にまで伝えられる逸話。その場の空気を読み、相手が恥を掻くことのないように、心配りができることが「エレガンス」なのである。人としての心の優雅さがなければできない。
ここで言う“エレガンス”も礼節と相通じるところがありそうだ。感性ゆえに、理解できる者とそうでない者にはっきり別れる。しかも、理解できる者はめっぽう少ない。礼節を正しく理解し実行した者だけが、サービスの神髄を極められるのではないだろうか。
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電子メールのメッセージの意味合いを正しく捉えている可能性は50%しかないそうである。シカゴ大学とニューヨーク大学が共同で「メールの意図が正しく伝わる確率」を研究したことがある。
この研究では、学生のペアを30組作り、大学構内の食べ物や天気などのテーマに関する20の意見が書かれたリストを渡して、各ペアの一方が、これらの意見が本気か皮肉かを推測して、選んだ意見を相手にメールで送信した。
その結果、メッセージの送信者は、受信者が意味合いを正しく解釈する自信(確率)は80%と予測したのだが、実際には、受信者が送信者の意図通りに受け止められたのは50%程度だった。
書き手がメッセージに込めた意味合いや感情を「明確だ」と往々にして思うのは、書きながら自分が意図する意味合いを頭の中で『聞いて』いるからだ、と研究者は説明している。
同時に、メッセージを読む方は、そのときの気分や型通りの考え方、思い込みに基づいて無意識のうちに内容を解釈しているとのこと。メッセージが他人の観点からどのように解釈されるかを想像するのは、人はあまり得意ではない、ということだ。
これは筆者もメールのやりとりでよく経験する。「このように書けば、相手はその通り理解するはずだし、するべきだ」と思い込んでいることが多い。電子メールは非常に誤解されやすいもので、感情的な論争の引き金になるだけでなく、多くの訴訟の原因にもなっているといわれる所以である。
その点、古来からの連絡手段としての”手紙”、”葉書”は、対照的に相手に意図を理解させることに腐心した書き方が基本となっている。それぞれの特性はあったとしても、人と人とのコミュニケーヨンの媒体である以上は、メールにも”手紙”のようなルールやマナーが必要だろう。
古いとか新しいとかではなく、身の回りにある優れた知恵(お手本)を発掘し、再認識して活用すべきである。
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