ミュージシャンの桑名正博さんがご逝去された。様々な分野でご活躍された方で、まだまだこれから期待される人物だっただけに惜しまれ、その思い出に手を合わす。
数日前、北海道、名古屋、九州の仲間達が来阪。私が社長から会長の役職になったからで、「お疲れさん会」の食事会を開いてくれたのだが、この企画をしてくれたのは桑名正弘さんと交流のあった人物だった。
ある時二人でミナミヘ食事に行った際、目的の割烹のある雑居ビルの前で偶然に会ったのが桑名さん。不思議なことに同じエレベーターに乗って、同じ階で降り、同じ店で臨席同士で2時間ほど過ごし、彼と交わしていた会話が印象に残っている。
さて、「かめかむか」さんがタケモトピアノのCMに触れられていたが、これを企画して立ち上げたのは上述に書いた人物で、彼は大手引越し会社や防虫剤などのテレビCMにも携わっているその世界で知られる存在である。
タケモトピアノのCMが話題になったのは、関西の人気番組「探偵ナイトスクープ」に採り上げられ、「赤ちゃんが泣き止むという噂は本当でしょうか?」という特集だったが、番組まで仕掛ける企画力は凄いと思った。
テレビ番組の宣伝を行うのを「番宣」とも言うが、彼は昔そんな仕事でも能力を発揮、その存在はテレビや業界関係でかなり著名な人物でもある。
ある、仲間達とミナミで食事をすることになり彼に電話を掛けて誘ったら、「ちょっとアイデアが浮かばずに苦戦中です。浮かんだら行きますから」と言うので期待をせずにいたら、それから1時間後ぐらいにやって来て、「完成しました」とその作品を見せてくれたのだが、それを見た全員が驚いた出来栄えだった。
彼が取り組んでいたのは、あるテーマパークのキャンペーンポスターで、JRの駅のホームに掲示されるものだった。季節は秋、山の紅葉をモチーフにしてキリンを描き、動物達が「来てください」と語り掛けるのような作品。それが何かの広告賞に輝いたことを後で知ったが、彼の発想力は誰もが考える世界とは異質のレベルにあり、外国のホテルなどの企業の総合クリエーターとしても活躍している。
そんな彼とは忘れられない出来事がある。筆者の本業の世界で「なかったら自分で作れ」と取り組んだのが葬儀の世界で使用出来るオリジナル音楽の創作。筆者がシナリオを描き、それを一緒に仕事をしていた天才的な音楽家に作曲を依頼、シンセサイザーで何回も重ねて様々なアレンジで進み、やっと完成してCDのジャケットを打ち合わせていた時に偶然に来社したのが彼だった。
「何をやっているんですか?面白そうですね」から始まった三者会談。すぐにこんなことはプロに依頼するのが得策と判断。破格の制作費用で請け負って貰ったが、全曲を収録したマスターテープを持ち帰って聴いてくれたそうで恐縮した。
数日後、彼がやって来た。机の上に出されたCDに完成したジャケットがすでに入っている。タイトルは「慈曲」と命名され、その文字バージョンの縦型と横型」の二枚を並べ、次のようにプレゼンされた。
「全曲を聴かせて貰いました。かなり完成度が高いと感じました。そこで浮かんだタイトルが『慈曲』で、縦型に入れたら演歌のイメージになりますから横型がよいと思います」
そんな事情で世に出たCDだが、その発表後に話題になり、当時にあったテレビ番組「宗教の時間」で採り上げられたのだからびっくりした。
この「宗教の時間」という番組は、読売系列で誰もが知られる「正力松太郎」氏の遺言で長い間継続放送されていたもの。娯楽とニュースだけのテレビ業界だが、大切なことを伝える文化もテレビの重要な役割だ。民法にも一つぐらいCMが一切ない番組があってもよいじゃないかという哲学だったそうである。
正直に申し上げると、音楽家に依頼したのは9曲で、10曲目の「逝かれし人へ」という曲は筆者の作曲。音楽家と彼の「入れるべき」という言葉に甘えたのだが、その後、この曲が双子の姉妹で知られる「きんさん、ぎんさん」のご葬儀でご出棺時に使用されていた事実がある。
その後「慈曲葬」という商標登録まで進展。発表時に行ったシミュレーション葬儀を体感された新聞社の方に感動のお言葉を頂戴し、大手新聞の一面のカラー記事に採り上げられられる出来事に至った。
数号前に「伊勢」のことに触れたが、伊勢神宮の「正式名称」は「神宮」で、全国に在する神宮の源のような存在である。
今、20年毎に行われる「式年遷宮」のための大工事があちこちで行われ、来年の大イベントの準備が進められているが、「遷」という字は「遷都」などのように「移す」意味に用いられているようだ。
「遷延(せんえん)という言葉は例外みたいで、「のびのびになること」と解釈されているが、仏教の世界でも高僧がご逝去されると「遷化」されたというように用いられるし、お仏壇を「洗い」に出すために「魂抜き」を行ったらり、置く場所を変更するために行われるのが「遷座」という言葉が使われている。
秋の旅行のパンフレットを見ていたら「神在祭」という文字が目に留まり、細かい文字まで読み込むことになったが、それは山陰に在する「縁結び」で知られる「出雲大社」の大祭で、次のように書かれてあった。
『1年に一週間だけ 神無月と呼ばれる旧暦の10月ですが、神様が参集される出雲では「神在月」と呼ばれています。その中でも「神在祭」の一週間は、全国の神々が参拝者の願いを審議してくださいます』
『平成の大遷宮により、130年ぶりに蘇った「新御本殿」がお目見え! 御修造を終えた御本殿の大屋根を境内よりご覧いただけるようになるもので、お入りいただくことはできません。また、御本殿を囲む八足御門、楼門、回廊の瑞垣は改修工事が行われています。
本殿遷座祭は平成25年5月に行われます』
こうなると、来年は伊勢や出雲にと予定を組まなくてはと思う人もおられるだろうが、この出雲大社を結ぶ「一畑電鉄」には有料だがユニークな企画が存在し、鉄道ファンの羨望の体感場所として有名なのである。
本線と並行する一部を限定路線とし、そこで本物の電車の運転体験が出来るとういうものだが、片道約150メートルを実際に運転可能というのだから全国から多くのファンが集っているそうである。
講習と運転体験を含めた旅行企画も組まれ、多い人では10回以上も運転をしたという猛者もおられたそうだが、子供を伴われたお父さんだけではなく、女性の参加者が意外と多いのも話題となっている。
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日本人的文化の中でスピーチというものは独特な世界があると言われている。欧米諸国ではスピーチの冒頭は人を引き付ける必要性から「ユーモア」や「ジョーク」から始めるとされるが、我が国内での会合で耳にする「挨拶」には通り一遍等の世界があり、「僭越」「浅学非才」なんて言葉を聞くと「うんざり」するものである。
挨拶の終わりの前に、「終わりになりますが」とか「最後になりますが」なんてことも飛び出すが、これらは「結びになりますが」に変更された方がよいと書いておこう。
また、「甚だ簡単『粗辞』ですが」と思っている方があろうが、「粗辞」なんて言葉はいつの間にか誰かが用いて勘違いされて現在に至っているもの。同じ「読み」の「措辞」という言葉の意味が「詩歌や文章で言葉の使い方」であり、「措辞の優れた作品」などと用いられるところからも、なにやら不思議な言葉になるとも言えるだろう。
先月末、来月に息子が結婚するという友人から頼まれたのが「新郎」の父の謝辞の問題だったが、どうしようと「心労」や「辛労」する彼の姿を見かね、アドバイスしたのが「堂々と読め」というもの。この「幸せ列車」の世界には「結婚」のページもあり、何かの参考になればと謝辞の一例を紹介しよう。
謝辞のポイントになるのが幾つかあるが、「出席者に対する謝意」「媒酌人への謝意」「祝辞やスピーチ、歌などへの謝意」「今後のお願い」「出席者に対する祈念」などが基本になり、日本人特有の「粗酒粗宴」など「謙り(へりくだり)」を加えるのも重視されているようだ。
『ご紹介をいただきました新郎の父「****」でございます。両家を代表いたしまして皆様に一言謝辞を申し上げますが、思うところをしたためて参りましたので失礼ながら読ませていただきます。
本日は、何かとご多用の中、二人の結婚披露宴にご出席を賜りまして誠に有り難うございました。
遠い昔の慣習からいたしますと、媒酌人の存在が不可欠でしたが、これも現代社会の潮流(ちょうりゅう)からでしょうか、ご承知のように本宴に媒酌人の存在はございません。これは、ここにご出席いただいた全ての方が二人の結婚を見届けてくださった「証人」というご存在であり、ある意味「媒酌人」であられると言えるのではないでしょうか。
東北のある地方では媒酌人のことを「神様」と称し、それが「縁結び」につながるからだと聞いたことがございますが、結婚とは、まさに「えにし」と言うことに間違いはなく、それだけに二人にはやがて生まれて来るであろう子供達を含めて、幸せな家庭を築かなければならない責務があると考えております。
ある方から結婚は「華燭の典」で、華は「花」で女性を表し、燭は「蝋燭」で男性を表し、どちらも周囲を明るくするものだと教えられましたが、是非、そんな明るい家庭を築く夫婦として歩んで欲しいと願うのが我々4名の親の思いでもあります。
皆様から寿(ことほ)ぎのご祝辞を頂戴した中の教訓や励ましのお言葉を拝聴しながら、二人が何と幸せ者だろうかと感涙しながら、両家親族一同感謝の思い一入(ひとしお)でございますが、そんな中、全くアルコール類を飲まない私も、今日はその喜びに、ほんの少しだけ口にすることになり、身も心も舞い上がっているような気分でもあります。
なにとぞ、今後も二人をお見守りくださり、ご指導とご鞭撻を願う次第でございます。
粗酒粗宴で長時間に亘(わた)ってのご臨席、恐縮の極みに耐えないところでございますが、皆様のご健勝とご多幸を心から祈念申し上げ、甚だ粗雑ではございますが、両家を代表したしまして私の謝辞とさせていただきます。本日は、誠に有り難うございました』
上記は最近に多い媒酌人のないケースで書いたが、書いたものを堂々と読むことは決して恥ずかしいことではなく、原稿もなく詰まったりすると聞く側の人達が異常な疲れを生じる事実も理解しておきたいものである。
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