天からのメッセージを書いてから一ヶ月が過ぎた。
その後雪はどうなったのかというと・・・。
その一報は深夜ローマからのメールによってもたらされた。
送信者はローマ在住のお向かいの娘さんである。
昨年新築のご実家にお里帰りされた際に知り合い、偶然同い年だったこともあって意気投合。以来時折メールを交わすようになっていた。
たまたまご実家に電話をしたら、お母様が我が家の隣のご主人と除雪のことで大喧嘩をしたと言う内容だった。
とても上品で思慮深い風情の奥様なので俄かには信じがたかったが、朝になって雪かきに外へ出た私の耳に、突然隣家のご主人の大きなどなり声が届いた。「母さん出せ。母さん!(奥さんのこと)文句あるなら出て来い。」お向かいのご主人に対して発せられている。
どうやら昨日の喧嘩の続きらしい。
怒鳴っている隣人をここでは仮に“雪かきおじさん”と呼ぶことにしよう。
昨年の夏に引っ越して来るまで郊外で畑仕事をされていたそうだから、見るからに体力が余っている感じである。年齢は70代後半ぐらいだろうか?
雪かき用具も大小さまざま取り揃えて一日中でも雪かきをしている人だ。
問題は自分の敷地の雪をすべて出して、我が家の真向かいの空き地や他所の家の敷地へ持ってくること。空き地はともかく雪を持ってこられた家は堪らない。お向かいさんは車を自宅の駐車スペースに入れるにも苦労する有様。
今年の道南地方は平年の2倍以上の積雪。皆各自の敷地内に雪を積んでいる。捨て場がないのだから、自分の敷地に雪を全く置かないなんてありえないことだ。「雪かきにもルールがある。」と言っていたおじさん。それは自分に都合のよいルールのよう。何しろ自分のやり方を押し通して仕切りたがる。
私も随分雪かきのやり方を指図されたが、そこは長幼の序。
除雪で出来た山を崩すのを手伝ってくれるような親切なところもあるので、多少干渉が過ぎることがあっても我慢していた。
お向かいの奥様はよほど腹に据えかねたのだろう。
二言、三言苦情を述べただけなのだろうが、相手が悪かった。
激高した雪かきおじさんには通用しない。
親切な筋向いのご主人もとばっちりを食って、事態は日に日に深刻な様相を呈することとなった。連日の雪かきで大概体力も限界にきていたところへ、雪が降った朝の険悪なムードに気持も塞いでくる。
お向かいの奥様は「私の所為で皆さんにご迷惑をかけて・・・」と精神的にかなり参ってしまわれ、お気の毒だった。
気がついてみると、雪かきおじさんと挨拶したり喋ったりしているのはご近所で私だけになっていた。
きっとこんな雪かきおじさんはどこにでもいる。
よくあるご近所トラブルは他人事だと思っていたが、身近にふってわくと、思いもよらぬ展開で人間関係が壊れていくのだということを改めて知った。
雪が恨めしくなった。
函館は140年間で4番目の積雪量。住民の生活は圧迫されている。
道南は例年もう少し気温が高く、雪が降ってもこれほど積もることはなかった。
除雪費もパンクしているのだろう。市内の道路は全く除雪が進んでいない。
車道は狭くなり、道はうねうね、雪が車道の両側にうずたかく積まれて馬の背のような形になっている。人も車も往来が大変だ。
最近の北海道のニュースは“倒壊”の文字ばかりだ。
空き家が雪で倒壊。学校の体育館の屋根。商店街や民家の屋根。夕張の美術館に至っては雪の重みで建物が飴のようにぐにゃっと押しつぶされていた。
閉館中でけが人がなかったのが幸いであった。
このところ日中の気温がプラスになって、雪が重みを増しているのである。
我が家だって油断できない。
「もう雪はいらない。早く雪が解けてほしい。」というのは住民の切実な祈りである。
聞けば今年はローマでも1956年以来の大雪となったそうで、市長から外出禁止令が出され、食糧は滞り、街がパニックに!!1週間買い物にさえ出られなかったという。
天はいずこにも大きな試練を与えたもうた。
最近雪かきおじさんは私には一層親切だ。
屋根から落ちた雪の塊を片付けていると、ママダンプ(大きな雪かき用具)を横付けにして「ここに入れろ」と、固まった雪を空き地へ運んでくれる。
皆にそうしてあげれば喜ばれるのに!
今年ほど春を待ち焦がれたことはない。
雪解けまでもう少しの辛抱。
一日も早く福寿草が土から顔を出し、春の光を浴びて微笑む日が訪れますように。 そして、この雪の下に決して人間の“遺恨の芽”が隠れていないことを切に願っている。
1月17日、奇しくも阪神大震災のメモリアルの日。
北海道新聞朝刊の一面から「積雪194センチ岩見沢限界」の大見出しが目に飛び込んできた。「高齢者らの生活寸断」の文字もあった。
我々北国の人間には「限界」の二文字だけで、窮状が容易に想像できる。
「雪に殺される」と訴える住民の姿もテレビで伝えられ、自衛隊も除雪や救助に出動した。しかし残念ながらすでに雪の事故で死傷者も出ている。
本当に雪に殺されてしまったのだ。
自然は実に厳しい。
私の住む道南も今年は雪が多い。
この時節、巷では除雪をめぐるご近所トラブルも少なくないのだ。
お隣とお向かいに新しい家が3軒建って、初めての冬である。
近隣はもともと大きな家が多い上、高齢化が進み、用事があれば家の前から車でお出掛け。
お付き合いといえば挨拶程度で、ゴミ出し以外にお会いする機会はめったになかったが、毎日雪が積もるようになって事情が変わった。
新しいご近所さんとは朝の雪掻きで顔をあわせることが多くなった。
家の前には公道まで巾5m長さ20mの道路があり、現在は我が家と他2軒で共有している。
つまり除雪車が入らない道路だ。積雪が多いときは結構な重労働である。
雪掻きは共同作業となり、連日ともなると不思議な連帯感も生まれてくる。
ある朝、覚悟してドアを開けるとすでに玄関の前まできれいに除雪が施されていた。
お向かいのご主人によると、その道路を使用していないお隣のご主人が掻いてくださったのだという。
有難いやら申し訳ないやらである。
そう言えば2~3日前の雪の日も日中雪掻きされている姿を発見。
恐縮して声をかけると、仕事がお休みらしく「暇ですから」とにっこりされていた。 我が家は高齢者のいる女所帯で、お向かいは私の親世代のご夫婦。
まだ現役世代のその家のご主人は案じて下さったのだ。
善意のタイガーマスク運動が話題になった昨年のこと。身近に「我が家にもタイガーマスクが来たの。」と喜んでいる独居の女性がいた。
その善意はやはり黙って雪掻きをしていった人のことだった。
雪の上に残ったママダンプ(大きな雪掻き用具)の跡を辿っていくとご近所のお蕎麦屋さんだったという。
雪は人間に大きな試練を与えるが、一方で他者を思いやる優しい気持を喚起してくれるようだ。
人と人との関係が疎遠になりがちな現代に「仲良くしなさいよ」という天からのメッセージなのかもしれない。
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