朝食を終えた母が膳に向い「ご馳走さまでした」と深々と頭を下げて、
「負けた!」とつぶやいた。
この一言を聞くと私は嬉しくなる。
誰が負けたのか?
中高年の読者ならもうお解かりだろう。
負けたのは牛。勝ったのは馬である。
食事が美味しかった時、「馬勝った(旨かった)、牛負けた」と昔はよく当たり前のように口にしたそうだ。
江戸時代に始まった言葉遊び「地口(じぐち)」の一つである。
今でいう駄洒落は食卓を和ませたのだろう。
特別なご馳走ではないが、母はよくこう言ってくれる。
「また、牛さんの負けなの?」と私。
「負けたの!」と語気を強める母。
母はうま年だから、馬が連勝中で我が家は万事めでたし!である。
食後深々と一礼する姿はとても礼儀正しく、こちらが襟を正される思いがする。それは母にとって至極自然なことらしい。
食事を作った私に対しての気持もあるかもしれないが、93歳の母には今日食べられることの感謝や誰の手も借りずに自分で食べられることの有難さがその形に表れているような気がする。
さて、母のかかりつけのクリニックへ行くと、血液検査の結果、カリウムの値が高いということであった。
腎臓に負担がかかり、腎不全や心不全の原因になるので、カリウムを排泄するゼリーも処方されたが、なるべくカリウムを多く含む食品は摂らないように。特にバナナ、柑橘類、生野菜はダメだという。
調べてみると大半の食品はカリウムを含んでおり、カリウム制限というのは存外難しいものだということがわかった。
その話をすると知人から「あまり神経質にならずに、摂りすぎなければお好きなものを召し上がった方がいいのでは?」と言われ、目が覚めた。
あれは7年前のことだった。大好きなイカを「あまり食べないように」という注意の後、「86歳まで食べてきたんだから、もういいでしょう」と医師から言われたことがある。
しかし、「今日はイカの姿見なかった?」とイカ刺しを楽しみにしている母を見ると元気になってもらいたくて、その後もイカが食卓から消えることはなかった。
好きなものを食べることは元気の源だ。データーでは計り知れぬものがある。
数値が極端に高い食品は避けるとして、喜ぶものをこれからも作ればよいのだと思ったら、少し気持が軽くなった。
野菜は小さく切って茹でこぼすことでカリウムを減らすことができ、果物は缶詰ならカリウム値が低いとアドバイスしてくれる友人もいた。
何事も人に話してみるものである。
先日、百貨店で販売されていた人気の駅弁を親戚が買ってきてくれた。
その名も明石名物の「ひっぱりだこ飯」
ここにも日本の言葉遊びの心が生きていた。
蛸壺型の陶製の容器を見ただけでわくわくしてしまう。
中身は色彩も風味も豊かな具の入った炊き込みご飯で、上に明石蛸のうま煮がのっているが、それが何ともやわらかい。
御当地でいただく出来たての駅弁の味は格別のものであるけれど、これは時間を経ても美味しさを損なっていなかった。
微に入り、細をうがつ作り手の気持が伝わってくるようだ。
母はイカも好きだがタコも大好きである。
気分はもう明石海峡!
駅弁一つでどれほど幸せな時間が流れたことか?!
馬が圧勝したことは言うまでもない。
蛸の足を箸でつまみながら「蛸ちゃんで~す」と笑い声を響かせ、ひっぱりだこ飯をほお張る母子であった。
終着駅には当分たどり着かなくてよい。私達の幸せな時間旅行はまだまだ続く・・・。
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