いきなり波動の法則などと是非目にしておいてほしいけど、ちとばかり鬱陶しいテーマで出発進行したので、ここで早々に途中下車で一服としましょう。
ここで登場の「一服」という言葉、勿論言うまでもなくタバコの一服だという事はお分かりでしょうが、若い世代には一服ではなく一休みなる言葉に置き換えられていると思いますね。
タバコですが、私も勿論吸ってました。吸い方はヘビーではなくて一日一箱ぐらいで吸い方も金魚っぽいプカプカでした。今は止めていますが、それは4年ほど前に急性肺炎で強制入院させられて以来です。
今は本当に喫煙者が減りましたね~。でも私の廻りには頑固に吸い続けている人物が結構いらっしゃいますし、いらっしゃいました。その中で忘れられない友人がいました。ある化学工業系の会社の社長でした。
彼がある時突然電話をしてきたのです。その内容は、「慶さん、俺肺ガンと診断されて後半年の命と言われた」と。私は思わず絶句!!。彼は阪大病院に入院したので早速お見舞いに行きました。何度か行きましたが、あの背が高くてナイスガイの彼がどんどん細くなって行くのがわかるにつれて心が重くなっていきました。
そしてお見舞いが最後になる日がやって来ました。その日病室に入りベッドの側に行くと彼は眠っていましたが、やがて目を覚ますと止めるのも聞かずに上着を羽織り、「慶さん、庭に出よう」と誘われて庭園のベンチに腰を下ろして話をしてました。
その時、彼が突然「慶さん、これが残り最後の一本や」とやおらポケットからセブンスターの箱を取り出し、残りの一本を実に美味そうに吸ったのです。肺ガンの身でありながタバコを隠れて吸っていたのです。
それを見て、私は彼の覚悟の程を悟りました。そして病室に近いロビーの窓から「慶さん、北新地はあっちの方だな。もう一度行きたいな~」と言ったのでした。私は思わず「何を言ってる、元気になって絶対に新地に行こうぜ」と強い口調で言ったのを覚えています。
これが彼との最後の別れとなってしまいましたが、私も妙に気持ちが高ぶり、帰り道スピードが上がり、何と初めて白バイに捕まってしまったのでした。その後再度見舞いに行きましたが、既に退院して家に帰ったとの事。
それから数日後、突然彼から電話がきて大事なイベントに代わりに出て欲しいとの依頼が来ました。残念ながら日時が合わず要望に応える事が出来ませんでした。これが彼との最後の会話となったのです。
さて今回は途中下車して何を言いたかったのでしょうか。それは誰にでも必ずやって来る人生の終演、まだまだ残りの人生にやり残しが多々あった彼の覚悟の程について、私自身も大いに感じさせられたのでした。そして生きる事の意義についても大いに考える切っ掛けとなりました。
彼はやり残しもあり無念の気持ちもあった事でしょうが、あの最後の一服に込められた「覚悟」に従えば、幸せな最後であったのではないかと思うのであります。
途中下車はこのあたりにして、次の列車が来るのを待ちましょう。
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