その目玉のひとつが「キモノ・フォレスト」(着物の林)。これは友禅の生地をアクリルで包んでポール状にし、それを線路脇へ600本設置し、林に見立てたもの。
昼は生地の美しさを楽しみ、夜は優しい光がポールからこぼれて駅全体を浮かびあがらせる。
京都らしい演出は優雅でもあるし幻想的でもある。
「キモノ・フォレスト」が並ぶ小径はレトロな車両と並ぶと、なんとも絵になる。こういった斬新なデザインを取り入れながら、利用する人がゆっくり駅に滞在できるような配慮がされているという。
驚いたことに新しい嵐山駅には改札がない。京福電気鉄道の「嵐山駅が嵐山の街並みに溶け込めるよう、駅と街との区切りをなくすために改札を撤去したい」という意向らしい。
改札がないことによって、線路のすぐ脇にショップや足湯が設置されていたり、ホームから直接公園に行き来できる構造になっていたりと、ひとつの村の中に電車が出入りしているという印象を受けるという。
長らく行っていない嵐山だが、今秋にでも、あの美しい紅葉を観るついで、新・嵐山駅に行ってみたくなった。
ペットが人の心を癒してくれるということで、今や世界中の人々が、ありとあらゆる動物を飼っていますね。
そんな中でも、やはりイタリア人の猫好きには目を見張るものがあります。
ローマの「フォロ ロマーノ」や「ラルゴ アルジェンティーナ」などの遺跡跡には 猫の姿が目につきます。
「ラルゴ アルジェンティーナ」は 西暦紀元前44年3月カエザルが暗殺された場所でもあります。ここには まだ数十匹の野性や捨て猫が生存しています。
近年は この猫たちのために保護団体まで設立されています。
とは言っても、現実はご高齢の猫愛好家のシィ二ョーラが、殆ど個人で、この猫たちを管理されているとか。
経済的な事は言うまでもなく。猫への愛情も量り知れるものではありません。
そして、生き物に携わるという事は 一日たりとも休みがないという事です。
日本のサラリーマン用語のように「今日はオンです。」「今日はオフです。」とは簡単に言えない厳しい現実があります。
自分の人生の総てを猫に懸けて生きていらっしゃるこのシィ二ョーラを、
私は幸せな女性だなあと思います。
テレビの放映や、実際にお目に掛かったこともありますが、なかなかのインテリ女性。兎に角、寛大な心の持ち主です。
どんな事ではあっても、一人間が自身で、喜びを感じられる事を続けるという事は(どんな困難に出合っても)何よりも幸せな事だと思いませんか。
実は 私の住むパラッッオも七・八尾の猫を飼っています。
日中は 何処かへ出掛けている猫たちも、深夜には、地上階の泥除けマット(長さ3M横1.8M)の上に全員集合。私は深夜のガードマン達と呼んでいます。
門番が毎朝、道路を一本渡った新聞スタンドへ新聞を買いに行くのが日課になっています。その門番の後ろには五匹の猫たちが続いて歩いているのです。
何という微笑ましい光景でしょう。
十年ぐらい前までは、「パッレ」(顔がボールのように真ん丸だったのでボールという意)がいました。濃いグレーのコロコロの太っちょ。
私の夫が、一人で散歩に出ると、決まって何処かからか出て来て、夫のお供をしてくれていたものです。玄関先まで、夫に付き添って来てくれていました。
私の夫が神経系の病で杖をついて歩いているため、「パッレ」は持って生まれた「助け合い精神」で、スマートに夫をエスコートしていてくれたのです。
「パッレ」は ある日、姿を消しました。車の下に寝ていて引かれたそうです・・・
イタリア人たちとの会話の中で、猫たちの話題が出てくると、まるで我々人間と同等のレベルになります。その時、イタリア人たちは 何時もより目を大きく見開いて、更に大きな身振り・手振りを付けて、彼らの事をいとも自慢げに話し出します。
「どうだい。驚いたろう。凄いだろう。」とでも言うように。
そして、一度・二度と瞬きをして、相手の目をジッと見る。
その姿は まるで、猫の親分とでもいう感じ。
私は イタリア人にとって、猫は血族家族だと思ってみています。
それだけに深い・深い絆があるのです。
2002年2月には ローマの中心部の古代遺跡跡に2500年前から住みつき出した
野性猫たちが「文化遺産」にまで指定されているのです。
ローマでは 猫も遺跡の一部。一つの文化としての価値を認定されたということでしょう。
2000年の長い・長い歴史を歩んできたこの街ローマは ずっとそうであったように、今日も忍び足で歩く猫たちに見守られていると思えてくる。
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ダグラス・アダムズのSF小説「銀河ヒッチハイク・ガイド」の中で「生命、宇宙、そして万物についての究極の答え」を問われたスーパーコンピュータ「ディープ・ソート」が750万年かけて計算した末に出した答えがある。
この「生命、宇宙、そして万物についての究極の答え」をディープ・ソートに計算をさせたのは知性高次元生物のハツカネズミだという。彼は言う...
「○○だと!」
「750万年かけて、それだけか?」
ディープ・ソートは答える。
「何度も徹底的に検算しました」
「まちがいなくそれが答えです。率直なところ、みなさんのほうで”究極の疑問”が何であるかわかっていなかったところに問題があると思います」
「・・・・・・・・・」
答えはGoogleで「人生、宇宙、すべての答え」と検索すると出てくる。
だが、どうして答えが○○なのか?
ディープ・ソートが750万年もかけてこの答えを出した事を思うと、この問題を解くに際してのGoogleの計算は驚異的に速い。
Googleが「○○」を計算するのに要する驚異的な速度は、Googleの方がディープ・ソートよりもすぐれているという、Google関係者のメッセージであるとする説がある。
「神様、仏様、□□様」
この○○から、往年のプロ野球名投手を思い出す人は、かなり昔の人だろう。
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