作家の故・司馬遼太郎氏の著述にこういう話がでてくる。
大陸から製鉄技術がもたらされた後、日本が鉄製品の一大生産地になった理由は、四方を海で囲まれた温帯モンスーン地域にある日本では、木々の生育が極めて早いからだという。司馬遼太郎氏は私の高校の先輩になる。そうとも知らず十代、二十代の頃の私は彼の歴史小説をことごとく読んだ。
高炉が発明される以前の製鉄には、鉄を精錬するために山ひとつを丸ごと裸にするほどの木材が必要だった。鉄を溶かすために燃やすのである。
鉄は戦争用の道具として、また農耕用の道具として需要が非常に高かったから、日本に製鉄を伝えた朝鮮半島では禿山だらけになったという。そして鉄の生産にも支障をきたした。
ところが、日本の場合は違った。湿潤な気候のおかげで、禿山になった後にちゃんと植林しさえすれば30年で木々が茂る元の山に戻った。実際に植林もした。
その結果、日本では環境破壊をもたらさずに鉄の恩恵にあずかることができた。それは、その後の日本の歴史を決定づける大きな要因になった。
世界にもまれな豊かな森に育まれて、いまの私たち日本人はいるのである。アジアで唯一の先進国になった日本の原点の1つとも言える。
彼が小説の中で取り上げた人物には、天下をとった人、出世した人、金儲けをした人、現代風にいえば“勝ち組”の人はいない。むしろ歴史の激動の中で名を残せなかった埋もれた人材、死ぬに死に切れない思いで死んでいった草莽の志士などだ。そうした人の無念をペンの力で復活させた。
それはさて置く。冒頭の一節は「この国のかたち」に出てくる話である。日本は四季を有する。四季を持つのは温帯地域ならではのものである。蒸し暑い夏がやってきたが、その対極には凍えるような寒い冬があり、その間には春、秋という心地よい気候がある。
梅雨という植物連鎖に重要な自然もある一方で、地震、台風、大雨、大雪などの厳しい自然の試練も受けている。だが、そのプラスもマイナスも含めて変化に富んだ地球上でも極めて人の住みやすい地であると思う。
日本人であること、日本に生まれたことは、最初から地上の楽園に誕生したに等しいと思える。とてもそうは思えない人もいるだろうが、落ち着いて周りを見渡してほしい。こんなに心地よい気候がほかにあるだろうか。
マルコ・ポーロは著書「東方見聞録」で日本を「黄金の国ジパング」と紹介した。ジパングは中国大陸の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れているとされていた。
まさに日本は地上の楽園と見られていた。気候に恵まれない国の人は、あるものは憧れ、あるものは嫉妬し、あるものは手に入れたいと願った。
地の利というのは最高の天からのプレゼントだ。われわれは、物事を考えたり実行したりする時、まずその恵みに感謝する所から出発していくべきではないかと考える。
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